スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新大陸発見の「発見」という言葉に幻惑されて、その裏にある先住民の悲惨な歴史には全く気付かないでいていた

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

スペイン・ポルトガルの世界征服
新大陸の先住民の運命と、二カ国による世界二分割構想


コロンブスのアメリカ大陸発見は、世界史上前人未到の大壮挙である。我々は小さい時から、「コロンブスの卵」」の寓話とともに、人類の発展、幸福に寄与した偉人、英雄として教えられてきた。ところが、この壮挙は、西欧白人の非白人に対する侵略史の始まり、悲劇の出発点だったのだ。我々は新大陸発見の「発見」という言葉に幻惑されて、その裏にある先住民の悲惨な歴史には全く気付かないでいていた。なぜなら、明治以来私たち日本人が学んだ歴史はすべてヨーロッパ産で、世界史イコール、ヨーロッパ史であり、文明とはヨーロッパ人がつくるもの、文明の進歩、発展や人類の幸福とはヨーロッパ人のためのものであったことに気付かなかった。
発見とは、地球の本の一隅に位置するヨーロッパ人がはじめてアメリカ大陸のあることを知っただけで、そこには紀元前約4万年から2万5千年も前から、アジアに住んでいた我々日本人と同系統のモンゴロイドが移り住んでいた。だから発見ではなく、白人が単に到達したというべきである。
白人が発見したという先住民のインディアス、インディオは、先史時代に渡ってきたモンゴロイドの子孫である。彼らの風貌は、現在の蒙古人や満州人、日本民族とそっくりである。人種的にも赤子に青い蒙古斑がでる同族である。
先住民は何でも喜んで差し出した。先住民にとって初めてみる白人の客人に何の疑いもなく親しみを持って応対したのである。
コロンブス一行は、島から島を渡って、黄金はないか、宝物はないかと執拗に探しまわったがお目当ての金は見つからず、珍しい植物や鳥や先住民奴隷をつれて、1493年3月15日、故郷の港に帰ってきた。
その後、コロンブスが3回もこの危険な航海に出たのは、ジパングの黄金にありつきたい一念があったからだ(コロンブス西航の目的地は日本だった)。彼はスペイン王との契約で、新しく発見した地域の富と資源をもたらしたら、1/10を取得できることになっていたのである。
その手段は武力を使おうともかまわないことになっていて、この探検は最初から新大陸での収奪が最大の目的だったことは間違いない。

一神教としてのキリスト教の原罪を忘れてはならない

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

身の毛もよだつ「異端審問」の実態

異端審問=日本では宗教裁判と訳されている
中世はヨーロッパの暗黒時代といわれる。その暗黒の大半は、ローマ・カトリックの狂信に由来する。キリスト教の「異端審問」の酷しさは、密告、拷問、火刑となって、ヨーロッパ世界を恐怖の底に陥れた。
第一:密告の奨励。他人を密告することは、聖職者の信頼を勝ち取り、自己の保身になる。密告社会ほど人間同士が信頼できぬ暗黒の恐ろしい社会はない。
第二:拷問の承認。なぜ愛を説くローマ教会で拷問が頻繁だったかというと、ここにも十字軍魂がある。教会は神の代理人であり、教会が用いる拷問は「神の名において」行われ、「神が欲し給う」ことなのだ。だからどんなひどい拷問をしても許される。
第三:刑罰の厳しさ。火あぶりの火刑が代表的。火刑も、絞殺してから火刑にするものと、生きながらの火刑がある。オルレアンの聖女・ジャンヌ・ダルクは、魔女として、生きながらの火刑を受けた。
中世の教会の魔女狩りとその裁判ほど残虐、残酷なものはない。魔女は告発、密告、世間のうわさだけで簡単に決められてしまったからだ。嫉妬、憎悪、不信の社会で「あの女は魔女だ」と言われただけで犠牲にされる恐ろしい時代だ。教皇イノケンティウス8世が1484年に魔女裁判を公認してから以後200年で、無実の罪で死んでいった犠牲者は300万人から900万人と諸説があって、永遠の闇の中である。これほどの凄惨な女性受難史は世界にない。
ヨーロッパ世界を混乱させ、人々を不幸に陥れた戦争は、すべて宗教に由来するといってもよい。十字軍戦争がその代表であるが、いつ果てぬとも知らぬ世界最長の百年戦争も三十年戦争も、七年戦争も、旧教と新教の紛争のユグノー戦争もみな宗教戦争である。
ヨーロッパの大衆は戦争の犠牲を受け続けただけでなく、異端審問や魔女狩りなどでいかに多くの人々が宗教の名において悲惨な目にあわされたことか。
人間を幸せにするはずの宗教が、逆に人間を不幸におとしめるという意味で、ヨーロッパほどひどいところは世界にない。その不幸を近世になって世界中に広めることになったのである。今こそ世界史におけるヨーロッパの原罪を徹底追及しなければならない。その中で一神教としてのキリスト教の原罪を忘れてはならない

十字軍の侵略の残虐行為も、世界中を荒らしまわった植民地帝国主義の暴挙も、都合のよい宗教的信念で進められた

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

聖戦とは名ばかりの「十字軍」の正体

パスカルは『黙想録』で、「人は宗教的信念によっておこなうときほど、喜び勇んで、徹底的に悪を行うことができる」と述べている。「神、それを欲し給う」という宗教的信念に訴えれば、キリスト教者をどのような罪の深さも、神の名によって帳消しにされる。罪が罪として意識されない。
ヨーロッパ人が、中世東方に侵略した十字軍の侵略の残虐行為も、近世、世界中を荒らしまわった植民地帝国主義の暴挙も、このような罪の意識を持たないですむ彼らに都合のよい宗教的信念で進められたのだ。西欧文化が「罪の文化」といわれるのはこのためだ。
十字軍というと、キリスト教徒のヨーロッパ人が、聖地エルサレムを異教徒の手から奪回するための聖なる宗教戦争だと教えられてきた。白十字の楯を持つ騎士の凛々しい正義の姿がイメージされる。だがそれは西欧の歴史家によって美化された姿にすぎない。
十字軍とは、11世紀末(1096年)から13世紀後半(1270)に至るまで、7回にもわたって行われた遠征。一般には中世のカトリック教会が異端の徒や異教徒に対して行った遠征軍のことで、後世、十字軍という言葉は、ある理想または信念に基づく聖なる正義の行動としてプラスイメージで使われてきたが、真実の十字軍はとてもそんなものではなかった。
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの兄弟宗教の共通の聖地である。だから各信徒の礼拝の自由は、誰がエルサレムを統治するにせよ、保障するのが道理で、事実イスラム統治下でもキリスト教徒の聖地巡礼は、大体保障されている。
ところが十字軍はこの長年の慣行を破り、聖地をキリスト教で独占した。
当時エルサレムはイスラム教を奉ずるトルコ系のセルジューク王朝の支配下にあった。時のカトリック教の教皇ウルバヌス2世は、エルサレムを異教徒の手から取り戻すべく「神それを欲したまう」と檄を飛ばし、西欧の諸侯や騎士は、これに熱狂的に答えた。


近代まで連なる西欧人の「十字軍」精神

十字軍は宗教的信念というより、略奪した戦利品の山分け、土地の分配といった経済的欲求に煽られた人々だ。だから第一回の十字軍で、エルサレムが十字軍の手に落ちると、大虐殺、略奪が行われた。大勢のイスラム教徒やユダヤ教徒は、神殿ないにあつめられ、火を放って生きながら焼き殺されてしまった。たちまち聖地エルサレムは血の海と化した。
ナチスによるユダヤ人の虐殺は誰でも知っている。だがこの犯罪は、ナチス固有のものではない。キリスト教徒のヨーロッパ人によるユダヤ人の迫害、虐殺の歴史は、既にこの十字軍によるユダヤ人殺しに始まっていたのだ。(大沢正道氏『ヨーロッパ帝国支配の原罪と謎』)
数次にわたる十字軍東方遠征の暴徒によって、略奪、暴行、殺戮はすさまじいものがあった。東方の人は十字軍の所行を見て、西方から来た野蛮人としてのヨーロッパ人の本性をそこに見たのである。
大沢正道氏によると、キリスト教を信奉するヨーロッパ人にとって十字軍に発揚された精神は、十字軍魂としてその後のヨーロッパ人の行動原理となっている。なるほど第二次世界大戦後のアイゼンハワー大統領の対ソ冷戦は、反共十字軍の呼びかけであり、湾岸戦争は米軍にとってはアラビア十字軍という名の聖戦のつもりだった。
このヨーロッパ白人の十字軍魂は、近世になって今度は海を越え、地球の隅々まで侵略し尽くす世界植民地時代につながっているのだ。
第二次世界大戦の米軍の極東日本への遠征も、聖なる十字軍の延長である。

キリスト教の神は嫉妬と憎しみの神 自分に従わぬものに徹底した不寛容、戦い、殺し、征服することを求めた


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

宗教戦争を続発させたキリスト教の不寛容性

キリスト教はローマの国教となり、さらに北欧に進んだ。入信しない領民は、すべて神の敵、異端として神の名により抹殺することができる。この神は嫉妬と憎しみの神であるから、自分に従わぬものに徹底した不寛容を示し、戦い、殺し、征服することを求めた。
愛はただ、この戦いに共同する者の戦友愛にすぎなかった。ローマ時代の支配者に都合がいい「お前は死ね、自分はお前のものをとって生きる。」という理論が復活した。
キリスト教思想の根本は、ローマ帝国の支配の論理に集約できる。それは「お前のものはおれによこせ、お前は飢えて死ね。お前のものを奪うことによって俺は生きる。」である。これは狩猟、遊牧民族の生存競争の原則である。キリスト教はこれを信じない異端者には特に厳しい。ローマカトリックになってからこの排他独善の傾向は、一層強化された。
これがヨーロッパ人の深刻な宗教戦争を生み、十字軍戦争、百年戦争などの原因になっている。
15世紀以後、世界に展開することによって、人類史上類のない異民族大虐殺の犯罪を起こす



可もなく不可もない蒸気のようなものが一番あぶないのだ

『大富豪の仕事術』(マイケル・マスターソン 著 ダイレクト出版) より

「余暇の過ごし方にはその人の人生を活性化させる黄金となるものと、可もなく不可もない蒸気のようなもの、そして害となる酸のものがある。
この害となるものはもちろん一番良くないものだが、正常の判断ならあまり触れない。
だが、この可もなく不可もない蒸気のようなものが一番あぶないのだ。
それは少しなら問題ないが、習性となりやすく、取り過ぎると人を無気力にさせる。」

著者によると、娯楽の過ごし方には、以下の3種類があるといいます。

1. 人生を活性化させる黄金となるもの
とにかく自分を改善するもの

2. 可もなく不可もない蒸気のようなもの
自分をほとんど変えないもの

3. 害となる酸のもの
とにかく自分をダメにするもの


それぞれについてあげてみると・・・・著書を参考にしながらの私見です ^^


1. 人生を活性化させる黄金となるもの

ヨガ
瞑想
ボランティア(自己満足でない動機)
自己の振り返り、内省
家族との有意義な時間を過ごすこと
自己研鑽としてやっている活動をすること
清浄な所に行って過ごすこと
技術向上のための本を読むこと、
誰かのことを想い行動すること



2. 可もなく不可もない蒸気のようなもの

スマホ、タブレットで仕事や学びのためでなく、興味本位的に画面を見ること
娯楽番組・マンガ
いつもの飲酒
スマホでゲーム
Facebook、Twitter、LINE



3. 害となる酸のもの

低俗な娯楽番組
暴力的な、低俗なゲームに興じる
遊びの中で人に迷惑をかける自己中心的な行い
快楽、享楽のみを追求した旅行


著者は「この可もなく不可もない蒸気のようなものが一番あぶないのだ」
と言っています

その人の人生を決めるのは
「可もなく不可もない蒸気のようなこと」
だというのです。

怖いのは、この
「可もなく不可もない蒸気のようなこと」を一番多く、ほとんどの人が
日常的にほぼ毎日やっています。
だって一番楽なわけですから。。。。

これは、実は、自分が自分のためにしたいことをしているわけではなくて、
とにかくあまり頭を使わず、エネルギーをかけないでできるっていうことで選択しているようです


つまり、自分のちょっとした時間
電車の中、何かを待っている時、仕事の行き帰り、休みの時
蒸気のようなことばかりしていると、
それがやがてその人の習慣となり、そして当然のごとく、それはその人の人生になります。

人を無気力にさせる
仕事をするのも、何か有意義なことをするのも、自分のちょっと目標としていたことをするのも
何をするのもだんだんと気付かぬうちに 億劫になり、人生自体が無気力となっていくというのです。

そうして、やがて遠からずのうちに、自然とその人の生命エネルギーが
衰えていく

マンガやテレビ、SNSが習慣のこの世の中です
ちょっと頭で考えれば分かることですが、
これらをしている時、人間の脳は、、、、働いてないですよね。
人間は、これらの道具を使うことで、脳を使わないように使わないようにしていってしまっているようです

習慣となった人の脳は、それをするのが楽になり、
他ことをやるのが段々めんどうになり、
やがて、蝕まれるように、日常のクオリティが知らず知らずのうちに落ちていく

こういう本を読んで、びくっと感じれる状態であれば、自力で方向転換できるかもしれません

コロンブス~の白人が先住民をいとも簡単に殺しつくしたのは・・・・キリスト教は都合よく利用されたのだ

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

一神教民族と多神教民族の違い 

パレスチナ、アラビアの酷烈な自然風土の中では、自然に対決し、自然を征服しようとする絶対神を必要として一神教を生む。
これに対して自然の温和な湿極の日本では、自然順応、調和、共生の多神教が生まれる。
一神教が排他独善の不寛容な神、妬みの神になるのに対して、多神教は、誰をも受け入れる極めて寛容な慈愛の神となる。
仏教を生んだインドの世界は、モンスーン地帯に属し、高温多湿で、土地の生産性は極めて高い。ここで生まれた仏教は、当然キリスト教のような苛烈さ、峻厳さを持たない。日本もモンスーン地帯なので、血のしたたる刑死の十字架を祈るより、慈愛に満ちた釈迦の自然死の涅槃の像に親しみを覚える。日本にあるたくさんの仏像のどれをとっても残虐な血の匂いはない。経典にも戦争だ破戒だ、殺戮だのといった残酷な場面は出てこない。
キリスト教は、家畜を殺して暮らす遊牧民や狩猟、牧畜民族に都合の良い宗教になっている。動物は、人間に使われ利用され食べられるため神によって作られたとする論理が成立する。
神は地上に、神に似せてまず人間を創った。次にその下に被造物として動物を、そしてその他の物を造った。だから人間は神に代わって動物を家畜とし、これを殺し活用してもかまわないのだ。
他民族を侵略したり、戦争を仕掛けて勝てば、その民族は殺されるか奴隷にされる。奴隷は人間ではなく、羊や牛の家畜と同列の扱いである。奴隷は家畜だからこき使おうが、殺そうが勝手で、そこに罪の意識をを全く感じないで済む。
さらに神が自分の姿に似せて創ったという人間とは、白人のことであって、、黒人のごときは、神を侮辱する獣であるから絶滅するのが神の意志だという論理になる。コロンブス以後の白人が、発見した新大陸の先住民をいとも簡単に殺しつくしたのは、白人以外の植民地民族をはじめから人間としてみていなかったからである。奴隷狩りや奴隷市場で売買された黒人など、牛馬と同じ家畜と考えない限り、あれほどむごいことはできなかったはず。白人以外は人間でないと、キリスト教を白人に都合よく解釈して、その侵略や殺戮、植民地支配を正当化していった。白人の植民地支配の罪業が、人間として悪の意識、罪の意識を感じないですむように、キリスト教は都合よく利用されたのだ。



侵略戦争の背景:キリスト教の正体 人間のおぞましさ 粉飾された言葉の裏の執念に、怖気をふるう

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

「聖書」を生んだカナンの地の過酷な風土 

ヨーロッパ人の世界侵略のシンボル、手段は「剣と十字架」である。「右手に剣、左手にバイブル」。剣は力、聖書はそれを生み出す精神。つまりその侵略を神の許した給う聖なる戦いと位置づけている。
侵略戦争の背景については、キリスト教の正体を知っておかなければ説明ができない。
キリスト教の生まれた聖書の故郷パレスチナの地理的背景はどうだったか。私はバイブルを開くたびに、部厚い本の最後に載っているたった一枚のカナン(パレスチナ)の地図を眺めていつも嘆息するのである。アブラハムやキリストやその弟子たちが活躍した聖書物語は、すべてこの狭い地図の中で起こった。その自然環境は、人間の生活に最も厳しい土地とされている。
人間生活にとって、日本は雨に恵まれた「湿極」と呼ばれ、カナンの地は「乾極」と言われて正反対の環境である。石ころだらけの土地、砂だけの砂漠、岩塩におおわれた不毛の地、塩分濃度が高く生物を寄せ付けない死海のような恐ろしい土地。
カナンの地がいかに人間にとって厳しい土地であるかは、その中央にその名も死海という名の塩の海があることで象徴的である。死海の谷は地球の裂け目であり、海面より300mも深く、地の底をのぞくようである。
人間居住空間としてカナンの地は、絶望的で例外的な土地である。この極悪な地に押し込められたユダヤ民族の宗教、これを母胎とするキリスト教の教えや戒律が、どうして普遍性をもちうるであろうか。まして湿極の日本人の生活に馴染むはずがない。
ユダヤ民族は、強大な東方の帝国の辺境にある貧困な、疎外された民であった。貧しい周辺地域に追いやられた牧畜民族の運命は、絶望的であった。
彼らはエジプトや三日月地帯(メソポタミア)の繁栄を羨望し嫉妬しながら、どん底の貧困生活を送らねばならなかった。だから彼らの崇めるヤハヴェの神は、他民族の繁栄を呪う嫉妬の神となる。同時にその富を略奪し、搾取する機会を約束する「征服の神」である。この神はその約束を実現する代償として、ユダヤ人に、貧苦と忍耐と禁欲と団結を強要する。
会田雄次氏は、いくら旧約聖書を読み返してみても、そこにどうしても理想と愛を見いだすことができない、と述懐している。彼は、そこに見られる征服と繁栄に対する妄執に、人間のおぞましさを感じるだけだ。粉飾された言葉の裏の執念に、怖気をふるうだけだと言っている。

ヨーロッパの繁栄は、歴史から抹殺されてしまった一億人のインディアンの怨念、犠牲の上に成り立っている


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

VIPのもつ本来の意味とは

ヨーロッパでは重要な人、偉い人のことをVIP(Very Important Person)と呼ぶ。インポートとは、輸入とか輸入品の意味に使われる。それがなぜ重要なのか。産物の乏しいヨーロッパでは、他国から自国の方へ物資を持ってくる、獲ってくることは、仲間が生きるために最も重要なことだったからである。食糧やその他産物を自分たち集団のために持ち込むことは、その手段が略奪であろうと泥棒であろうと国益にかなっているので問題ないのである。
最も効率が良いのは、他国の貿易船、宝船を海賊行為で奪って、そっくり自国に持ち込むことである。これほど同族を喜ばせ、豊かにするものはない。これほど重要なインポータントな英雄なないのだ。英国王の先祖が海賊であることを誇りとするわけも、ここにある。子育てのために獲物を狩りしてくる感覚である。そこには何の罪も悪の意識もない。
コロンブスがアメリカ大陸を発見し、先住民から莫大な財宝を奪ってヨーロッパに持ち込んだ。だから白人にとって、彼は最も重大な英雄中の英雄(VIP)になるのだ。ところが物を盗られ、殺されたインディアンの立場からは、コロンブスは一億人の先住民を殺戮する動機を造った極悪の犯罪人、悪魔中の悪魔である。その後のヨーロッパの繁栄が、歴史から抹殺されてしまったこの一億人の悲惨と怨念の犠牲の上に成り立っている。この表と裏の歴史的事実を明らかにしない限り、真の世界史は成立しえない。

夜、蚊帳を張って寝ている姿が外から見えても平気でいるのにビックリ仰天

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

収穫より略暴の方が効果的という考え方

日本では古くから「一粒万倍」の言葉があるように、収穫量は神の恵みと感謝してきた。ヨーロッパの農業は 日本人には想像もつかないほど生産性が低い。冬の長いヨーロッパでは、春の来るのが遅れると、致命的な打撃を受け、飢餓は慢性的になる。種用として貯蔵していた穀物まで食料に廻さねばならない。このような苛酷な風土では、生きるためには略奪によって補うより他に道がない。
西洋史の大家、会田雄次氏によると、「略奪が一番簡単で、一番豊かな生活を約束することで、ヨーロッパ以上のところはなかったのだ。日本では泥棒、強盗はバカがやる一番損な仕事になっている。略奪はヨーロッパでは、優秀な人間がやる企てであると考え、日本とは全く逆の価値判断である。イギリスの王家は先祖が海賊であったことを誇らしげに宣伝しているほどだ」(「日本の風土と文化」
乏しい食料をめぐる激しい争い、そして略奪を生存のための当然の権利と考えるヨーロッパ人の性向は、ここに由来する。


狩猟・牧畜民族の残虐性

ヨーロッパでは、耕す大地から得られるものがあまりにも少ないので、その上でいかに生き残るかの「生存の文化」になるのに対し、日本では、その大地の上で、いかに豊かな生活を楽しむかの「生活文化」が中心となって生まれる。生きる目的が生存にあるか、生活にあるかとでは、大変な違いである。
日本では戦前まで、町でも村でも一般大衆が日常鍵を持ち運ぶキーライフというものを知らなかった。欧米人はまず他人を疑い、関係はすべて契約で成り立ち、自己の所有物は鍵をかけないと安心できない。明治になって日本を訪れた西洋人が、日本の農村を旅行して、夜、蚊帳を張って寝ている姿が外から見えても平気でいるのにビックリ仰天したそうである。スキがあれば略奪、強盗が日常で、鍵社会で身を守る欧米人からみると、丸裸の無防備の日本人の生活は、異常に映ったのであろう。
中世までのヨーロッパの農民たちは、略奪と防備に備え、武器を備えていた。農民といえど戦う戦士であったのだ。
狩猟生活は絶えず動物に罠やおとりをしかけ、騙し捕え、おびきよせる技をみがかねばらなない。遊牧も牧畜も絶えず動物を殺し、食し、血を見て暮らす生活である。動物に憐れみなどかけていては生活が成り立たない。数千年にわたる厳しい環境の下で、ヨーロッパ人たちが獰猛な肉食動物的残虐性を持つようになったのはこのためである。


光の少ない冬期のロンドンでは、スモッグが加わり、あたりは陰惨というより凄惨の気が漂う

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

なぜ、白人は侵略的なのか――その歴史、宗教、風土から、原因を探る

人間は環境の子であるといわれる。世界の多様な人種、言語、宗教、社会、文化、歴史の違いを決定するものは、その地理的位置と気候風土であるとみて間違いない。
世界には砂漠の国、草原の国、大森林の国、極寒の国、灼熱の国と、様々な厳しい環境の国がある。日本の環境は、光と水と土と緑の調和した極めて恵まれた地上の天国といってもよいほどなのに、国民はこれを当然のことと思い、特別感謝していない。
西洋の主要都市の緯度は、樺太の50度線よりさらに北に位置する。これらは、私たちには想像もつかないほど、冬の太陽光の乏しい町である。花の都パリでさえ、49度という高緯度の都である。
日本では、太陽は真冬でもさんさんと輝く。冬、ロンドンから帰った人が、東京(北緯35度)の空の明るさ、光り輝く太陽のあまりの明るさに、眼がくらみそうだと感動するほどだ。光の少ない冬期のロンドンでは、スモッグが加わり、あたりは陰惨というより凄惨の気が漂うと言われている。日が出ても「月光」のような鈍い光にすぎない。どんよりとくすんでいる。西洋を包むこのくらい陰惨な風土は、その民族の心情に底にも、かげを落としているに違いない。
欧州や地中海沿岸地方では、年間の降水量が日本の1/3、ないし1/5と少ないうえ、その雨も冬に多く、夏は少ない。野の雑草は枯れ、日本の野辺のように虫がすだき、草葉が朝露に濡れるといった「わび」、「さび」の風情は出てこない。
欧米の大地は日本よりはるかに高緯度にあって氷河時代に氷食作用を受け、地殻の内部が地表に露呈し、片麻岩のような硬い岩石が地表にむき出している。人々はこの岩を打ち砕かねば町も道路も耕地もできない。泥が全く混じらぬ一枚岩の上にこそ、ニューヨークの摩天楼といわれる超高層ビル群が立ち並ぶことが可能になったのである。この硬い岩を打ち砕くためにダイナマイトの発明がとりわけ歓迎された。
これに対して日本人は、河川が運んできた土砂が、湖水や谷、浅海を埋め立ててできた沖積平野に住んでいる。泥のつまった堆積土であるために土壌はやわらかく、植物の栄養をたっぷり含んでいる。日本ではダイナマイトは不要である。
ヨーロッパの石の土壌から豊かな稲作文化など、生まれるはずがない。農耕文化には不適である。


戦後日本の学界、社会一般に見る世界史は、またしても西欧優先絶対主義の思想で貫かれ・・・

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

明治政府が招いたお雇い外国人教師の功罪

ヨーロッパ白人の、非白人に対する残虐非道ぶりは、コロンブスのアメリカ大陸到着、ピサロやコルテスによる印化やアステカ帝国の滅亡の悲劇、アフリカの奴隷狩り、アメリカ・インディアンの抹殺から大東亜戦争における無防備都市の無差別爆撃、広島、長崎の原爆投下による大虐殺まで一貫している。
この西欧文明の一大暗黒面を白日の下にさらす作業は、日本では残念ながら、大東亜戦争の敗北によってタブーとされてしまったために、行われないままになっていた。ここにおいて、戦後日本の学界、社会一般に見る世界史は、またしても西欧優先絶対主義の思想で貫かれて、非白人から、日本からの世界史は、封印されてしまったのである。
なお、川勝平太氏(国際日本文化研究センター教授)によると、日本の西洋史、世界史における西洋中心主義の偏見は、明治20年から帝国大学で招いたお雇い外国人教師ルードヴィッヒ・リースに遡るとのことだ。
彼の講義が日本における近代歴史学の誕生だったのである。彼は近代歴史学の父と言われたランケの高弟だが、そのランケは世界史講義の中で、アジアを蔑視、敵視し、アジア野蛮論を説き、西洋優位支配の正当性を述べている。西洋は善であり父であるという、西洋から見た世界史の伝統が、帝大の西洋史のリース教授を通して、現代の教室にまで尾を引いているのは不幸なことである。
お雇い外国人の月給は、当時の大臣クラスに当たる参議の大久保利通とほぼ同額であった。その数は527名にも及んだ。これらは、英米独仏等の欧米からだけであった。帝国大学の各分野の学問の基礎は彼らによって形作られた。これでは西洋礼賛一辺倒になるのは当然である。
戦後、マッカーサーが進駐するや東大教授の中には、保身のためマッカーサーにすり寄り、日本の文化伝統を蔑視し、欧米賛美の反日的、裏切りの売国奴を多く出した。谷沢永一氏が「悪魔の思想」(クレスト社)で指摘した横田喜三郎、丸山真男、大内兵衛などの法経学部教授のみならず、史学、人文系(林健太郎)の学者にもこれらのタイプが多く見られることを、心ある日本人は早くから見極めていたのである。
歴史は勝者によって作られる。
日本から見た世界史、東洋から、広く有色人種から見た主体的な世界史に書き直さねばならない。

今こそ、白人の触れたがらない暗黒の歴史を白日の下にさらす時が来た。これなくして21世紀の平和は語れない


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

「西洋病」患者、日本の成立事情
かつて長い間、日本人にとって世界とは西洋のことで、そこには東洋もあり、南米もアフリカもあることをしばし忘れていた。それは長く日本では欧米を通して世界を見るように飼い慣らされていたからである。幕末から明治維新、戦前戦後を通して日本の近代化のモデルは、一貫して西欧だけであったからだ。文明とは西洋のことで、それは美化され尊敬されあこがれの対象となっていた。
日本は外国人を西欧人と非西欧人に二分して意識し、西欧のみを唯一先進文明圏とみなし、それに追い付き追い越すことを国是としてきた。非西欧地域はひとくくりにして、文化、宗教すべて遅れた地域と軽蔑し、長い間関わり合いを持つことさえ避けて問題にしなかった。つまり非白人地域は、日本にとって関心の対象外として無視され続けた。
明治維新を迎える19世紀末期ころまでに、非白人地域はほとんどすべて西欧白人の植民地に組み込まれていた。
一方日本は、当時、非白人の中で唯一植民地支配を受けていない珍しい国だった。初めて西欧文明と接して、憎むどころか驚きと感動は尊敬と憧憬に代わり、ひたすら西欧に接近し、「追いつけ追い越せ」となったのである。当時の日本人にとって西欧は、畏怖・恐怖と賛美・羨望の交錯する複雑な対象であったが、その他の非白人の国のような憎悪や反抗、復讐の念など、生まれようはずがなかった。
当時の世界で日本人だけが、自国の伝統文化を温存したまま、西欧文化を自主的に、よいものだけを選択的に取り入れることができた。これに対して非白人の植民地では、西欧諸国の利益追求が中心で、伝統文化は破壊され、征服者に都合の良いキリスト教や外国語を強制された。


今こそ白人の暗黒の歴史を白日のもとに

西欧500年の発展、繁栄の基盤になっていたものは何であったのだろう。それは、世界史上例をみないほどの悪逆非道の非白人の支配と掠奪であった。西洋文明の発展、西洋人の栄耀栄華の陰に、その何百倍もの非白人の苦痛、苦難の犠牲があったのである。5世紀にわたって白人の文明と繁栄を支えるために、どれほどの不正と搾取、虐殺と殺戮があったことか。今こそ、この白人の触れたがらない暗黒の歴史を白日の下にさらす時が来たのである。これなくして21世紀の平和は語れない。この過去の世界史を総括しない限り、21世紀の真の世界史は生まれないと知るべきだ。
それなら、なぜ日本では多数の留学生や学者、外交官が西欧に渡っていながら、彼らの暗い面、西欧文明の内部にひそむ矛盾点を日本に伝えなかったのであろう。
それには無理からぬ点もあった。明治以来、一貫して西欧は文明の先進国で、日本はこれを一方的に学びとる生徒であった、はじめから教えを請う先生を疑うことなど考えてもみなかったからである。

マッカーサーは東京裁判で軍人を裁いただけでなく、不法にも歴史をも裁いてしまったのである


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

軍事力以上の破壊力を持つ行為とは

さて、それでは敵が他国を懐柔するのに、軍事力による物理的な破壊でなく、なぜ歴史を攻撃するのであろうか。ある国民の自尊とかプライドというものは、常にその国の歴史的評価と分かちがたく結びついているものだ。だからある民族を滅ぼすには、まず歴史(記憶)を消すことだという箴言がある。ある国の根幹を揺るがすことを目的とするなら、その国の歴史を攻撃することで最大の効果を上げることができる。
マッカーサーの占領政策は、当初、教育管理令の下、歴史の教育を禁止した。続いて許可した新日本の歴史とは、日本人が誇りとしてきた古事記、日本書記も、神武天皇の建国の理想も排除され、古来からのおとぎ話まで消されたものだった。また国家のために尽くした楠木正成や東郷平八郎元帥などの忠臣や武将の名を削り、反対に足利尊氏や幸徳秋水のような不忠者や国家に対する反逆者をたたえるように強制された。
マッカーサーは東京裁判で軍人を裁いただけでなく、不法にも歴史をも裁いてしまったのである。歴史を傷つけるという行為は、国民にとってまさに軍事以上の破壊力を持つものであることが次第に明らかになってきた。
かくて大東亜戦争によって日本侵略を目指す二つの白人勢力は、東からのアメリカと、西からのロシアであった。しかもその侵略は物理的破壊の軍事侵略だけでなく、精神的破壊の文化侵略まで強行したのである。一件目立たない文化侵略の恐ろしさは、軍事侵略より深刻である。国家は内部から腐敗、堕落し崩壊してゆくからである。
最近至るところに見られる亡国の兆しはその現れである。


戦後の日本の歴史教科書:歪曲された虚偽の歴史で、真の歴史ではない

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

歴史教科書論争をどう読むか

自分の生まれた国の歴史を悪し様に罵り、軽蔑し、自国に反逆するように導く自虐史観を摂る国が世界にあるはずがない。戦前の日本には自虐史観という概念は存在しなかった。だからこれは戦後の、ためにする造語である。
最近の歴史教科書の偏向のひどさはガマンならぬと、まともな歴史学者や教育関係者が立ち上がって修正運動に励んでいる。良いことであるが、このような運動、現象自体が、普通の国では起こりえないものである。
一国の歴史の自己決定権、解釈権は、独立国家の至高の権利である。戦後の日本の歴史教科書は、マッカーサー占領政策で歪曲され、さらに近隣諸国にお伺いを立てて、他国に都合よいように決めてもらった歴史認識によって書かれている。だから二重に歪曲された虚偽の歴史で、真の歴史ではない。


「平和安全法制」;反対派に共通する­のは日本侵略史観


愛国女性のつどい花時計より
済南事件/通州事件 
昭和初期、中国大陸で日本人居留民が残虐に殺された事件。教科書にも載っていませんしマスコミも取り上げないので知らない人が多いと思います。
8月1日(土)、靖国神社でこの両事件で殺された日本人を慰霊する催しが行なわれます。初めてのことです。
慰霊祭は13時からですので、参加される方は12時半までに受付を済ませていただけますように、お願いします。参加できない方は玉串料をお送り頂く、という参加の方法もあります。1人でも多くの方がこの機会に両事件に関心を持っていただければ、と思います。
 主催者の1人であり、ジャーナリストの水間政憲さんが両事件の解説をした動画です。
   ↓
チャンネル桜
済南・通州事件から考える平和安全法制[桜H27/7/21]
https://www.youtube.com/watch?v=GHO-FJ1LO_g

現在、国会の内外で激論が交わされている「平和安全法制」であるが、反対派に共通する­のは日本侵略史観であり、その結果としてのハンディキャップ国家論であろう。しかし彼­らの歴史観を紐解いていくと、中共のプロパガンダそのままの知的怠慢に閉じこもってお­り、済南事件や通州事件等での虐殺被害については誠に都合良く排除されている。今回は­、中共へのカウンタープロパガンダを展開している水間政憲氏をお迎えし、虐殺事件を忘­れていることの危険性と、日中双方の国民性に基づく相性の悪さについて解説していただ­くと共に、戦後初となる虐殺犠牲者の慰霊祭について告知していただきます。

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千­人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、­全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/

プロフィール

ちびちゃん HPもよろしくお願いします http://chibichan931.web.fc2.com/

Author:ちびちゃん HPもよろしくお願いします http://chibichan931.web.fc2.com/

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
ちびちゃんカウンター
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。