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少年事件に付添人を ~はぐるまの家~ new

少年事件付添人をご存知ですか

少年審判とは、犯罪を犯して逮捕された少年が抱える問題点を明らかにし、彼(彼女)が、二度と同じ過ちを
繰り返さないようにするために、もっとも適切な処遇を決める手続きです。
その時、弁護士は、少年の付添人となって、少年に一番近い立場で、活動します。審判が、少年の立ち直りの
きっかけとなるように、非行に至った原因や被害者の思い、今後の生活など、少年が乗り越えていかなければ
ならない様々な問題について、少年と一緒に考えます。


ところで、調停後、帰る家のない、あるいは、家庭崩壊のために家に帰すわけにいかない少年を受け入れて、
ともに生活しているところがあります。

福井県武生にある「はぐるまの家」は、「親子のかけこみ寺」として知られ、様々な事情で、親元を離れた
子どもたちが共同生活をしている。自立に向けて自らの問題と向き合いながら、「和太鼓はぐるま」の奏者と
してもたくましく成長する。その演奏は、慰問先の受刑者たちに大きな感動を与えている。

3月19日、愛知県弁護士会の主催で、付添人活動を行う「はぐるまの家」の生活とその活動「和太鼓」が披露
された。以下、はぐるまの「おっ母ちゃん」こと、坂岡嘉代子さんのお話です。^^

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

「和太鼓はぐるま」は、活動を始めて今年で35年目に入りました。当初は現在のような「はぐるまの家」も
ありませんし、ましてやグループを作ろうという意図もなく、全くの思いつきから始まったものです。

haguruma-head[1]

当時、私は手話を習っていて、ある時、ろうあのお子さんと一緒に、青年団の太鼓を聴きにいく機会がありま
した。すると、耳の聞こえないはずのその子が、太鼓の演奏に合わせて、膝をたたいている。
驚いて「聞こえるの?」と尋ねると、「聞こえない。だけど『お腹』に聞こえる」そう手話で答えたのです。

その頃の私は、嫁に行った先から、一方的な理由で、離縁され、お腹には、6か月の子を抱えて途方に暮れて
いました。子どもの誕生を期待する反面、「いっそ死んでくれたらいいのに」、という気持ちもありました。

そんな時に、ろうあの子と出会い、「この子に何か生きがいを持たせてやりたい」、そんなことを考えていた
ところ、彼の「お腹に聞こえる」という言葉が印象的だったのです。
「もしかしたらこの子に太鼓を打たせてやることができるのかな」、浮かんだのはそんな単純な発想でした。

そこで、家の近所に住んでいた太鼓打ちのおじいちゃんに相談に行き、初めはにべもなく断られたのですが、
半年かけて口説き落とし、太鼓を習わせてもらえるようになったのです。
そのうち、段ボールの束や、酒樽で、耳の聞こえない子どもたちが、一生懸命に、太鼓のリズムを取っている
のを見て、障害を抱えた子のお母さんたちが、「うちの子にもできないだろうか」と、やってくるようになり
ました。
当時は、そのような子どもが、文化的な活動をする場が、あまりなかったのです。「売名行為ではないか」
「見世物にしている」という抗議の電話がかかってくることもありましたが、重度の小児麻痺の子や、知的
障害のある子が真剣に太鼓を打つ、その頑張っている姿を見てほしい、と思いました。そこで発表の場として
浮かんだのが、刑務所でした。刑務所であれば、こういう子どもたちも受け入れてくれるのではないか、そう
した期待から、福井刑務所に手紙を書いて、慰問をさせていただくようになったのです。


近くの公園で、その子たちと練習していると、教護院を出た子や、不良と言われるような子たちが、からかい
半分でやってくるようになりました。改造したバイクで爆音をとどろかせながら、初めはじゃまをするように
来ていたのが、そのうち「僕らにもできるかな」と言って毎日の練習に顔を出すようになりました。

やがでその子たちが主体となり、それが現在の「和太鼓はぐるま」の原型になったのです。

太鼓を打ちに来た子が家に帰らないので「親が心配するよ」と声をかけると、「親はいないから心配ないよ」
と言うのです。それで我が家で食事をさせて、泊まらせて、そうこうするうち、あの頃は、8人ぐらいの子ども
が寝泊りをするようになっていました。

ある時、その中の一人の子にご飯をよそってやると、お椀をじっと両手に抱えたまま、「ご飯ってあったかん
やなあ」というのです。ご飯があったかいことくらいで、どうしてビックリするの、と理由を聞くと、その子
には両親がなく、引き取られた先では、温かいご飯やみそ汁を出してもらうことがなかったのだそうです。
ほかほかご飯をよそってもらえることが、よほど心にしみたのでしょう。

わたしの母の後押しもあって、その子をうちで引き取ることになり、やがてほかの子どもたちも一緒に、共同
生活を始めるようになりました。
ある日、子どもたちが、私に、「お母さん、これに『はぐるまの家』って書いて」と言って、板きれを持って
きました。墨でそのように書いてやると、子どもたちは、その看板を家の玄関に掲げました。その時に、
「はぐるまの家」というのが、子どもたちの中で確立されていることを感じ、私はその「居場所を守っていき
たい」、そう思ったのです。

「はぐるま」という名前には、力の弱い小さなはぐるまも、力のある大きなはぐるまも、みんなで一緒に力を
合わせて、前へ前へと進んでいこう、そんな意味が込められています。しかし、太鼓をする中で、一度、おか
しな方向に行ったこともありました。有名な音楽監督に認められて、スターと同じステージに立つという経験
もし、非行少年たちが太鼓を打つということで、企画会社が飛びつき、テレビでも取り上げられるようになり
ました。当然ギャラも支払われて生活は豊かになりましたが、「あそこは太鼓で飯を食っている」と言われる
ようにもなったのです。
それまで貧しい中で、「本当の豊かさとは心の豊かさだ」と、みんなで一緒にやってきたのに、これは何かが
違うと思いました。太鼓を通して知ってほしかったのは、一緒に何かができる喜びであり、「生まれてきて
よかった」という喜びです。そこが出発点だったはずなのに、このままでは、方向付けを間違ってしまう、と
思いました。そこで、子どもたちと「自分たちの柱とするものを見直そう」と話しあい、ギャラの支払われる
ようなステージではなく、刑務所や施設などの慰問を中心に、活動を続けていくことにしたのです。
生活は、また一転しましたが、そこからさまざまなご縁をいただいて、ハンセン氏病患者の施設や、海外の
刑務所公演などにもいかせていただくことになりました。

ある時、「アメリカのメディカルプリズンへ慰問に来てくれないか」、というお話がありました。そこには、
麻薬の常習で殺人を犯し、一生刑務所から出られない者もいるということです。いったんはお引き受けして
準備を進めていたものの、海外に太鼓を運ぶには、500万円もの担保金が必要なことが分かりました。とても
そんな資金はありません。しかし、「今更いけないなんて言えない。向こうでは待っているし、何とかして
行ってあげたい」と子どもたちに泣きつかれ、日ごろお世話になっている太鼓店の方に相談をしてみました。
すると、「口座はありますか」と聞かれ、あくる日には、500万円が振り込まれていたのです。「子どもたちの
夢は、絶対に奪わないでください。ボチボチ返してくださればいいですから」と言っていただき、念願の海外
慰問がかなうことになりました。子どもたちは、自分で国際運転免許に切り替えて、アメリカの砂漠の中を
自動車で走り続けて3日間、車の中で睡眠をとりながら旅をしました。かつて非行をしていた子のエネルギー
というのはすごいもので、私は彼らに引っ張られるようにして行かせていただいたのです。

子どもたちは、刑務所に慰問に行かせていただきながら、逆にたくさんのものを心の糧としてもらっています。
ある日、子どもが「お母さん、お坊さんが来られましたよ」と言うので表に出ると、鼠色の背広を着た坊主頭
の男性が立っています。聞けば、「先ほど刑務所を出所してきました」との事。
「『はぐるまの家』をスタートラインに、新しく人生を始めたい。2度と刑務所に行くようなことはしません。
それを子どもたちに約束したくてここに来ました」と言って、刑務所で働いて手に入れたお金を置いて行って
下さったのです。
はぐるまの太鼓を聞いて「ちゃんと生きていこう」と思ってくださる、その感動は子どもたちの大きな支えに
なっていますし、その人の人生が、どこか子どもたちの人生と関わる部分があるのでしょう。

子どもたちには、母親のない子がたくさんいて、笠松刑務所には「お母さんに会いにいく」と言った子どもも
いました。ですから、笠松の公演では「わが子が会いに来たと思ってほしい」と、「帰りました、ただいま」
のあいさつで始めることにしています。「また今日のここから、子どもたちも悪いことをしないとお母さんに
約束します」、とんなふうにお話しさせていただいています。

はぐるまの歴史の中で、「お母さん、もうお米が1週間しか持ちません」と言われ、講演の入場料代わりに、
コメをもらうような状況でした。生活費のたちに私も皿洗いに通っていましたし、みんな仕事から帰ると夜中
まで内職をしていました。実の娘には「何でそこまでやるの。私たちだって親子なのに」と言われて板挟みに
なり、不安と罪悪感、「逃げたい」という気持ちでいっぱいになりました。そんな時、たまたま入った本屋で
『逃げたらあかん』という本が目に飛び込んできました。――中略――
それ以来も何度も、逃げたい、やめたい、ということがありましたが、あの言葉が足かせになっています。


私には、実の娘も孫もおりますが、はぐるまの家の活動を始めてからというもの、自分の家族だけで過ごした
ことがありません。「どうしてそこまで?」とはよく聞かれますが、娘が言うには「お母さん自身が、安心
できる居場所がほしかったのよね」ということなのでしょう。

私自身の生い立ちも複雑な家庭環境にあり、私が生まれたことで、父の先妻や父方の子どもたちの憎しみを
かいました。実の兄は、母の連れ子ということで遠慮を強いられ、父方の兄が町一番の学校に入るのに、兄は
学校へも行かせてもらえず、奉公に出されました。「学校に行かせてくれ」、とせがむ兄の背中を薪でぶち
ながら、母は「堪忍せえや」と泣いていました。その後、兄は心をすさませて仕事も辞めてしまいましたが、
その兄の悲しみが、はぐるまの家で引き取る子どもたちと重なることがあるのです。私も学校を出ていません
し、精神的な苦しみの中で、青春時代を闘病と共に過ごしてきました。はぐるまの家の子どもたちが学校へ
行き、仕事へ通い、生き直していく姿を見て、私自身ができなかったことをしてくれているように思うのです。

今でこそ、兄は「俺はあれでよかったんや。おかげで、自分の子どもは大学まで仕込むことができた」と母を
許してくれていますし、「はぐるま」の活動も喜んでくれています。父も、「はぐるまの家」で子どもたちに
看取られながら息を引き取り、母もまたその後を追うように亡くなりました。はぐるまの子どもたちには親を
恨むような生き方をしてほしくありませんし、私のしていることは、こともの時代の兄への償いであり、父や
母の罪滅ぼしでもあるように思うのです。


今は、8人の子どもたちがここで生活をしています。裁判所の委託であったり、試験観察であったり、里子
として引き取っている子もいます。また、親の虐待や、監護力のなさで、家庭に帰すことが、できない子も
います。親が子供を恐れて引き取る力がないのです。子どもたちの年齢が低年齢化しているように思います。

最近の子どもが、昔と違うところは、してきた事件が大きいということと、家庭のしつけを受けていない子が
多いということでしょう。昔は家庭のしつけの跡が垣間見えましたし、私がお母さん方に教えてもらうことが
たくさんありました。はぐるまで引き取った子どものお母さんが、「子どもの衣類を洗わせてほしい」とわざ
わざやってくる。母親の方が、何とか自分の愛を届けたいという思いがあり、子どもたちにも「親ってありが
たいんだよ」と話すことができました。しかし、今は親から酷い虐待を受けてきた子もいますし、親のせいで
悲惨な思いをすることもあるようです。親御さんの姿が変わってきたのでしょうか、お茶碗の持ち方も、知ら
ない子どもたちに、親の問題を痛感します。

「実のお母さんのごはんを一回でもいいから食べてみたい」という子供もおり、今こうした家庭が増えている
ように思います。子どもにこういう思いをさせないでほしい、それが社会に伝えていきたいことの一つです。

「はぐるまの家」というのは、子どもたちにとって、安心できる居場所であったということです。眠る場所が
あってご飯がある。ここでは、警察に追われて逃げ惑う心配もありません。子どもたちが私に求めたものは、
形にならない「愛情」もそうでしょうが、お弁当を持たせてもらい、「おはよう、おやすみ」というあいさつ
があり、1日の出来事を聞いてもらえる、普通の家庭であれば当然してもらえるようなことだったのでしょう。
そうしたことを味わったことがない子どもたちが、たまたま私の所に来て、「これが家庭なんだ」ということ
を感じ、そこから自分立ちで居場所を作っていったように思います。

私が子どもたちに望むのは、親に頼らず、社会の中で必要とされ、自分の力で自由に生きていける人になって
ほしい、ということです。また、だれかにこの場所を引き継いで残していってもらいたい、という思いがあり
ます。
34年という月日に、みんなで「早いね、よく続いたね」と話します。あっと今にここまで来たという思いは
ありますが、日々いろいろとある中で気負うことも意気込むこともなく、その日をすごすことで精いっぱい。
毎日食事の時間はやってきますし、待っている子がいるので辞めるわけにもいきません。やはり、子どもたち
にご飯を食べさせてあげたいという思いがあります。ですから、私の職業は何かと聞かれる度、ただ「台所で
食事を作ります。それが仕事です」と答えています。


3_ph3[1]


はぐるま和太鼓の演奏の後、
はぐるまの家のお母さん坂岡嘉代子さんと愛知県弁護士会の高橋直紹弁護士のトーク


はぐるまの家にくる子どもたちの多くは
児童相談所からの委託、裁判所からの委託、弁護士からの依頼、里親支援として。
審判が終わっても家庭崩壊のため家には帰せない。

放火をしないと心が破壊されてしまう子がいた。
パオ(NPO法人子どもセンター)の多田さん(弁護士)がずっと寄り添っていた。
家庭に捨てられて、家にいられず、家を出て、麻薬、婦女暴行事件を起こす。審判の中だけでは見えない、
幼いころからのものがある。
子ども自身が壊される。魂が破壊される。家に帰ってもご飯がない。破壊された行動へ。

はぐるまの家に来たある少女のこと――
かなり大変でした。ガラスを割って血を出して、「痛くない」と言う。「これより痛い思いしてきたから」って。
私たちの想像の及ばない人生を送ってきた子でした。

付添人の存在――
事件に関わる弁護士のうち、1/3がはぐるまの生活とも関わってよりそってくれる。はぐるまを出ても、
就職など、付添人としてずっと関わってくれる。ありがたい。審判では事件の真相だけをほじくり返すだけ。
子どもは「どうせいいんです」とさばけてしまう。人生投げ出してしまう。

「そうじゃない、ここでふんばれ」と付添人弁護士がいてくれることは大きい。

学校からも家庭からも近所からも、そして外に出れば社会からもつまはじきにされる。
「裁かれた」んですからね。

審判が終わっても手紙をくれたり、関わってくれることはものすごく大きい。
結局のところはその人(付添人)の人間味です。弁護士であるとか、ないとかじゃない。自分を守ってくれる
見てくれる人。いつかは社会、近所に帰っていかなきゃいけない。それまで見守って下さい。

幼い頃からひどい虐待を受けてきたある少女の話――
キリで腕をさされたり、ビニール紐で毎日首を絞められたり。
はぐるまに来たころは、「人間が嫌い」と言っていた。しかし血のつながりじゃなくても人を信頼していける。
結婚して、もうすぐ出産です。




最後の挨拶
NPO法人子どもセンター パオ 理事長 多田元 弁護士

ユニセフの調査で、家庭や社会で孤独に感じている子どもが、日本では30%に上ることが分かりました。
OECD先進国では7%にしか満たないのに。。。
私たち(付添人弁護士)と出会うとき、子供は最悪の状態にあります。一人ぼっち。
ただ裁かれただけ。これは本当の更生じゃない。弁護士付添人が必要なわけです。

大人が子どものためにしてあげてるのでありますが、パートナーとなって(多田さんは付添人とは言わず、
パートナーと言う)実際は、私の方が学ぶんです。
少年事件はお金いらないもらえない、タダ弁護士と言われますが(笑)、子どもから学べる、だからやめられ
ないんです。



追記:
こんな時子どものシェルター
(「パオ」パンフレットより)

17歳のあきは、幼いときから母親が再婚した継父から虐待を受けてきました。

殴る、蹴る、「お前はバカだ」の言葉の暴力が毎日。

「家は冷蔵庫の中の闇のようだった」

誰にも言えず家出をくり返し、母にも「おまえなんか死んだ方がまし」と言われた言葉が心に刺さったまま
リストカット、シンナー、覚醒剤、出会い系・・・・

生きてる価値も実感も見失って自分を傷つけ続け、家庭裁判所の審判で女子少年院に送られました。
でも、そのとき出会った弁護士の「あなたが悪いのじゃない。自分を取り戻そう」の一言を支えに少年院で
学び、社会復帰を目指し仮退院の日が近づきましたが 家には戻りたくありません。
かといって行くところもないあきに、面会に来た弁護士は「子どもセンターパオ」のシェルターを紹介。

あきはシェルターで、継父に知られることなく、安心して生活しながら、支えてくれるスタッフと、次の自立
へのステップをゆっくり考えています。


目的:それぞれの子どもに対し、支える人、安心して暮らせる場所、
仕事先などを探し、社会に巣立っていけるよう支援します。
※秘密保持のため、住所、シェルターの詳細は非公開です。

パオ http://www.pao.or.jp/index.html

多田元弁護士へのインタビュー
http://www.nhk.or.jp/kodomo-blog/interview/28341.html
http://www.nhk.or.jp/kodomo-blog/interview/28342.html
ri_vol10_02[1]

多田弁護士 
もうお顔見ただけであったかくなるです(ちびちゃん)



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