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『侵略の歴史』 この500年、白人は世界で何をしてきたか  

戦後の教育がいくら歪曲したものであると言っても、
戦争に至った本当の原因、そして東京裁判の虚偽を分かっている日本人は多くいたはずです。
なのに、本当の歴史はほとんど表に出ないまま、今に至っています。

どうしてこんなことになったのか。


東條氏はアヘン戦争にまで遡って審理してみなければ、現代史の審判は不可能だと東京裁判の証言台で喝破しています。


アヘン戦争
1839年~1842年 対戦国:清帝国、大英帝国 19世紀の戦争。
イギリスによるインド産アヘンの中国への輸出が原因となって起きた。

そしてこのアヘン戦争といえば、思い起こされるのが

欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)

です。

中学校の教科書で、1492年のコロンブスのアメリカ新大陸の発見、
バスコ・ダ・ガマのインド航路発見

を習いました。「何かよくわからんが輝かしいな」、というぐらいの感覚でした。

植民地化された側、侵略された側である、インディアンや先住民族や古代文明のことを考えることはしなかったと思います。
羅針盤だの航海術だの、試験に出そうな用語を覚えるのに必死でした。
インディアンや先住民族や古代文明側の話を授業で聞いた覚えもありません。

1492年10月12日から、500年目の1992年に、それを記念したイベントが多数企画され、
中でも、フランスとスペインの両文化省の援助を受けた仏/西/米の合作映画『1492・コロンブス 』は、彼の信念、家族愛を盛り込んだ
壮大な大スペクタクルとして公開されました。
映画のチラシによると、「500年前の真実が今、我々の目の前で美しくも豪快に繰り広げられる」なんてあったそうです。

なぜ、こうも勝ち組が表に出て、賞賛の対象になり、
いわゆる負け組は表に出ることなく、その苦難の歩みが常に隠れた存在になっているのか。

理由は意外に簡単です。

コロンブス新大陸発見の後の欧米・ソ連の繁栄ぶりを見れば。

初期の航海では遭難や難破、敵からの襲撃、壊血病や疫病感染などによって、乗組員の生還率は20%にも満たないほど危険極まりなかった。しかし遠征が成功して新航路が開拓され新しい領土を獲得するごとに、海外進出による利益が莫大であることが立証された。健康と不屈の精神そして才覚と幸運に恵まれれば、貧者や下層民であっても一夜にして王侯貴族に匹敵するほどの富と名声が転がり込んだ。こうした早い者勝ち の機運が貴賎を問わず人々の競争心を煽り立て、ポルトガル・スペイン両国を中心にヨーロッパに航海ブームが吹き荒れるようになった。

ちなみに「大航海時代」をインターネットで検索すると、
中世ヨーロッパ、七つの海を冒険する海洋MMORPG。海賊と戦う軍人、ワインや胡椒を扱う貿易商、
世紀の大発見を目指す冒険家など選べる職業、スキルで面白さ充実のオンラインゲーム。無料体験お試しプレイ可能!~
・・・・・・・・オンラインゲーム? ・・・ ガクー。・・・こんなのがトップに出る、今の世の中なのです。


大航海時代、植民地時代をキーワードとした定義を見ても分かるように、
繁栄とは何か?
――物質です。お金です。経済です。莫大な物利益です。これを「そうじゃない」と否定できる人はいないでしょう。
それを教科書は「繁栄」と記述しています。だから物質利益=繁栄=すばらしい

ヒトの世の中がそういう観念で動いてきた。
経済的・物質的栄耀栄華が「繁栄」である、というとらえかた。

一方、侵略された側、インディアン・先住民族・古代文明は、物質・お金・経済・莫大な利益を基盤としていたでしょうか。
いいえ、むしろ精神性、宗教性を重んじていました。

中学・高校時代、「コロンブスか。何かよくわからんが輝かしいな」ぐらいにしかとらえられなかった貧弱な私の脳みそを
数十年たった今からやっと覚醒していこうと思います。


ありがたいことに著書がちゃんとありました。


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎 (千葉大学名誉教授)


残虐非道の奴隷狩り、奴隷貿易の実態 p126より
最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、簡単にアステカ帝国やインカ帝国を滅ぼし、金銀宝物を略奪し、反抗する先住民を見境なく殺していった。その数は、多く見積もって1億人(白人がもたらした流行病死も加えて)にも上ると言われる。
これでは金銀の鉱山が発見されても、採掘の労働者が足りない。佐藤や、コーヒー、たばこなど白人に都合の良い植物農耕のための人手も足りない。
そこで彼らが考えたのが、アフリカから労働者として黒人奴隷を連れてくることであった。彼らは原住民を殺しすぎた結果、労働力不足に気がつき、鉱山労働力や農場の労働力をアフリカから収奪することになる。白人たちは人を多数殺しておいて、その穴埋めにまた悪事を働く。ここに人類史上に刻まれる2つの悪行を、彼らは同時に進めることになった。
ギニア湾は、ポルトガルからアフリカ西岸に沿って南下して東に回り込んだところで、ここはアフリカ内陸部から奴隷を刈り集め、奴隷船で需要地の西インド諸島や南米に送り込む積出地として好位置にある。
そのギニア湾岸には、今でも地名として奴隷海岸(スレーブ・コースト)(ナイジェリア、ラゴス付近)の名が地図に残されている。さらにこの海岸には白人泥棒たちが金を盗み出して盛んに運び出したという黄金海岸(ガーナ)や、象牙を盗み出した象牙海岸(コートジボアール)、穀物海岸(リベリア)などの地名がつけられていて、白人300年の犯罪史がはっきりと刻印されている。
奴隷狩りには、3つの方法がある。
第一は拉致、誘拐である。動物を捕らえるように待ち伏せして、通りがかりの先住民を攫ってゆく。第二に白人奴隷商人とアフリカ首長の契約。首長が他部族に戦争を仕掛け、捕虜を大勢捕まえて商人に渡し、代わりに安物の鉄砲やたばこや酒、ガラス玉と交換する。第三は、首長が白人と組んで同胞を売り渡す、買弁的行為である。
集められた悲運の奴隷たちは海岸の奴隷貯蔵庫に格納され、奴隷船が来るのを何日でも待たされる。奴隷貯蔵庫の地獄絵のような悲惨の実態は、文化人類学者、川田順造氏の『曠野から』(中公文庫)の実態調査報告で知ることができる。奴隷船には複数の奴隷商人の商品(奴隷)が積み込まれるため、所有者の見分けがつくように、牛馬のように腕や腹に焼印を押され、二人ずつ鎖でつながれて暗い船倉に放り込まれる。船倉は天井が低く、立つことも横になることもできない。奴隷たちはそこに詰め込まれ、汗まみれ、くそまみれの生き地獄が待っている。だから航海中に半分以上は死亡した。死体は無造作に大西洋に捨てられ、魚の餌食にされたのである。

つづく・・

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