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安倍首相「靖国参拝」と映画『永遠の0』


安倍首相「靖国参拝」と映画『永遠の0』
livedoorニュース
記事 門田隆将 2013年12月26日 14:27

http://blogos.com/article/76707/

永遠


一昨日、映画『永遠の0』を観た。いま人気絶頂の俳優、岡田准一が扮する零戦搭乗員「宮部久蔵」の家族と祖国への思いを描いた作品である。百田尚樹さんの原作に勝るとも劣らない力作だった。私は、邦画史上に残る最高の傑作だと思った。

残してきた妻と幼い娘のために「自分の命を惜しんでいた」宮部少尉が、最後は自ら進んで特攻に赴き、後輩に自分の妻と子を見守ることを託す“壮絶な生きざま”を描いた映画である。

映画館には、戦争も、まして特攻のことも知らない若いカップルが数多くいた。途中から館内にすすり泣きが聞こえ始め、映画が終わった時には、拍手する観客もいた。珍しいシーンだった。

生きたくても生きることができなかったかつての若者の姿に対して、現代の若者が涙を流す――私は、そのシーンに強烈な印象を持った。それと共に、拙著『太平洋戦争 最後の証言―零戦・特攻編―』で取材させてもらった元零戦搭乗員たちの姿と証言が、宮部久蔵と重ね合わさった。

そんな思いを綴っていたら、いま安倍首相の靖国神社参拝のニュースが流れてきた。「ああ、やっと参拝したのか」。私は、そう思った。そして、安倍首相のコメントがどんなものになるのか、注目した。私の耳に残ったのは、以下の二つの部分だった。

「私は、(本殿だけでなく)同時に靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをしてまいりました。鎮霊社には、靖国神社に祀られていない、すべての戦場に斃れた人々、日本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて、すべての戦場で斃れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをいたしまして、戦争において命を落とされたすべての人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りをし、そして、二度と再び戦争の惨禍によって、人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをいたしました」

「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りをし、そしてリーダーとして(その方々に)手を合わせる。このことは世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。これ以外のものでは全くないということを、これから理解していただくための努力をしていきたいと考えています」

私は「諸外国の人々も含めて、すべての戦場で斃れた人々の慰霊のため」という部分と、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福」を祈ったという部分が耳に残った。

それは、『永遠の0』で描かれた宮部久蔵の姿を観たばかりだったからかもしれない。そして、同時に、これから巻き起こる中国と韓国の反発と、これに呼応した日本のマスコミの非難の大合唱のありさまを想像した。

日本では、戦場で若き命を散らしていった先人に対して、後世の人間が頭(こうべ)を垂れ、感謝の気持ちを捧げるという当たり前のことが中国や韓国という隣国の干渉によって、胸を張ってできない「不思議な国」である。

吉田松陰ら「安政の大獄」以来の国事殉難者およそ250万人の霊を祀った神社に行くことが憚(はばか)られ、中国・韓国の代弁者となってそれを非難するメディアが日本には、数多く存在する。いや、その方が圧倒的と言っていいだろう。

私には、どんな思いで戦友が散っていったかを語る大正生まれの男たちに会い続けた時期がある。玉砕の戦場から奇跡的に生還した元兵士たちの姿を戦争ノンフィクションとして残すためである。

子孫を残すこともできず、戦場に散っていった戦友たちの無念を語る老兵たちの姿は鬼気迫るものがあった。それだけに「二度と再び戦争の惨禍によって、人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをいたしました」という首相の言葉が胸に響くのである。

「死ねば、神であり、仏」というのは、日本独自の文化である。「死者に鞭(むち)打つ」という言葉通り、死体を引っ張り出してきてまで「鞭を打つ」中国とは、日本は文化そのものが根本的に異なる。

私は、これまで中国人や韓国人と何度も靖国論争をしたことがある。その時、気づくのは、彼らが靖国神社について「何も知らない」ということである。

前述の通り、靖国神社は、吉田松陰ら「安政の大獄」以来の国事殉難者およそ250万人の霊を祀った神社である。当初は、「東京招魂社」と呼ばれ、この中には、維新殉難者として、私の郷土・土佐の先輩である坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太なども祀られている。

しかし、彼らは靖国神社を「戦争を礼賛する施設」あるいは、「A級戦犯を讃える神社」としてしか知らない。彼らが決まって口にするのは、「では、あなたはヒトラーを讃える宗教施設にドイツの指導者が赴くことを認めますか?」というものである。

その度に、私は、東京招魂社以来の歴史と、国事殉難者250万人の説明をさせてもらう。そして、「亡くなれば神となり、仏となる」日本の独自の文化について話をさせてもらう。

驚く中国人や韓国人も中にはいるが、大抵は、「いや、靖国は軍国主義を礼賛し、戦争指導者を讃え、戦争をするための施設だ」と言い張ってきかない。

私は、「その国独自の文化」の意味と、無念の思いを呑んで死んでいった人々のことを話させてもらうが、もはや耳を傾けてはくれない。この時、最後にいつも私が言うのは、例えば、中国人に対しては「八宝山革命公墓」のことである。

北京の中心を東西に貫く長安街通りを天安門から「西単(シータン)」を通り過ぎ、延々と西に進めば、やがて「八宝山革命公墓」に辿りつく。戦争で命を落とした兵士たちが葬られている墓地である。

ここには、抗日戦線、あるいは、国共内戦などで戦死した人々が数多く眠っている。言うまでもなく、中国で国の指導者となった人物が必ずお参りにくる地である。

革命公墓の中には、日本人が虐殺された「通州事件」や「通化事件」などにかかわった兵士たちも、もちろん入っている。しかし、日本人は、そのことについて非難したりはしない。

なぜなら、それはその国、独自の文化だからである。どう先人を追悼し、感謝の気持ちを捧げるかということは、干渉してはならない高度に精神文化に属するものであることを、少なくとも日本人は知っている。

私の伯父は前述の「通化事件」で殺された犠牲者の一人だが、中国の指導者が革命公墓にお参りすることに干渉したり、非難の声をあげたりはしない。

それが、お互いの国の文化を尊重する基本的な人間の姿だと思うからだ。だが、そんな常識は、おそらく中国や韓国には通じないだろう。彼らの側に立つ日本のマスコミによって、ただ中国や韓国の反発が増幅されて日本人に伝えられるだろう。

愛する人のもとに帰ることができなかった無念の思いを呑んだ若者、すなわち、「宮部久蔵」が数多くいたことに思いを致し、彼らに尊敬と感謝を捧げ、二度と戦争の惨禍を繰り返さない思いを新たにしてくれる若者が一人でも増えることを願うばかりである。

映画『永遠の0』http://www.eienno-zero.jp/index.html
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