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生まれた以上は一つの出家だと  一遍上人語録  坂村真民さん

一遍上人語録 -捨て果てて-
坂村真民さん著
 より


わたしは西行も好きであるが、西行とも違う。西行は話し相手にはなってくれるが、わたしの分身にはならない。そこにゆくと、一遍上人はもっとどん底の詩人である。このどん底的なところが、わたしをひきつけるのである。

 華を愛し月を詠ずる、

それは西行である。彼はそのため、世を捨て妻子を捨てた。現代の山頭火もそうであった。どうすることもできない輪廻の業である。

 仏をおもひ経をおもふ、

これも誰とは言わないが、天魔になったり、堕地獄の者になってしまったりする。
そういうことを(一遍)上人は身をもって知っていた。実存の眼は、実に近代的とも言える深さ鋭さである。
こういう危険性は、昔も今も変わりはない。一遍上人は、堕地獄から抜け出す教えを説いてまわったのである。

わたしは生まれた以上は一つの出家だと思っている。在家にあろうと、僧門にあろうと、この世に生まれた以上、それは出家だ。そして、旅することも出家なのである。

ある名の知られた人が、(一遍上人のことを)女をつれて出家するなんて、どだいなっておらんと言っているが、わたしは憤りさえ覚えた。わたしは超一、超二をつれて出家してゆく、あの絵が好きでならないのに、あの画面にひきつけられて一遍上人が好きになったのに、この知名の人は、どうしてこの男と女の心の通い合いがわからないのか。おそらくこの人はあの「一遍聖絵」の画面をじっと見つめていないのではなかろうか。じっと見つめたら、とてもそんなことは言えないものだ。妻超一も子超二も、頭を剃っている。だからもう普通の女ではない。剃らされて剃ったのではなく、剃ることによって夫に父についてゆけるから、進んで剃ったのだ。喜んで剃ったのだ。あの旅に出る、自由な世界に出てゆく妻超一のすっきりとした姿を、じっと見つめるがよい。あの修学旅行にでも出てゆくような超二のいきいきした喜びの顔を、見つめてみるがよい。
一遍上人はそれとは全く反対に、あのとんがり頭がいよいよとんがり、前途三千里の修行の旅に出る、それも、妻と子のいそいそとした姿とはまっく別に、しんけんそのものの顔で足も重そうである。そこがまた、わたしには心せまってくる。その時の心が伝わってくるからである。
f-4-1-1.gif


わたしは「一遍聖絵」の中にこの女人が出てくるのが、大層うれしく、ありがたいのである。・・・粟田勇さんの『一遍上人』に一番心ひかれた。あれは宗教家では書けない。やはり作家でないと書けない。踊り念仏の中に超一の姿を見出しているのはさすがである。・・・・・・・・・・・・・・

一遍上人は紫衣(しえ)を着た僧ではない。高いところから説教する僧でもない。時にははだしで歩きまわった大地の僧なのである。今わたしたちが書斎や畳の上で論ずることさえ相すまないような困難な旅のあけくれの中で、これらの語録は生まれたのである。

上人は書き残そうとはしなかった。書いたものがあったかもしれないが、すべて焼いてしまった。・・・・この点、お釈迦さまと同じ、イエス・キリストと同じ、孔子と同じである。

超一が死んだ。一遍上人のそばから消えて、上人はがっくりした。いっぺんに気力が落ちてゆくのを感じた、・・・・・改めてわたしは、一遍上人の体の中に燃えていた、泣きたいような純粋さに打たれた。・・・・・・

一遍上人のナムアミダブツの声は涼しく人の胸にしみとおった。だから非人も乞食もついてきた。あの声は、教えを説いて聞かせる高僧名僧のナムアミダブツではない。一遍上人のナムアミダブツは鳥の声のように、虫の鳴く音のように、自然(じねん)に響く大悲大慈のナムアミダブツであった。

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