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信不信をえらばず 浄不浄をきらはず

一遍上人語録 -捨て果てて-
坂村真民さん著
 より


信不信をえらばず
浄不浄をきらはず


どちらも大変な言葉である。

中略


少しでも信仰の門に入った人なら、大なり小なり、この問題にぶっつかるものである。信じたものが、信じられなくなる。それは信仰のことだけでなく、真剣に生きようとすればするほど、この実存に苦しめられるであろう。
果たして人間に、解決ができるのであろうか。
でもこれは、命を賭けて取り組まねばならぬ、信仰者の大問題なのである。

高野を過ぎて熊野へ行く山中の道でであった一人の僧との話・・・・・・・・・・
その僧は、実に純真である。
そして一遍上人は、さらに純真である。
その純真と純真とが、この山中の道でぶっつかり、この信不信、浄不浄の問題がおおきくなってゆく。
そこのところが、わたしには実に自分の問題として、心ひかれるのである。

信仰が確立していないのに、この札を受け取ると、仏さまにもあなたにも、うそをつくことになります、だからどうしても受け取ることはできません、と言う。なんという純真さであろうか。きっと若い僧であったにちがいない。

一方、渡そうとする一遍上人も、そうですか、ですまされる問題ではない。勧進賦算(かんじんふさん)はすでに天王寺で始めている。そして高野の山でもいよいよその決心を固め、燃え立つ心で熊野に向かっているのである。それだからいっそう、この一言が天雷のように、体ぜんたいを打ち響かせたのである。

「信心おこらずともうけ給へ」とて僧にわたし給ひけり。

これは上人の負けである。でもこの負けが上人を不滅の人とした。・・・・・・・・
一人の人が完成していくには、こういう負けをいくつも体験することが大切だと思っている・・


「一遍聖絵」はこの場面を詳しく描いている。

 御殿の戸を押し開いて、白髪の山伏が現われ、権現の霊告(れいこく)をのべた。

 融通念仏すすむる聖(ひじり)、いかに念仏をばあしくすすめられるるぞ、
 御房(ごぼう)のすすめによりて、一切衆生はじめて往生すべきにあらず。
 阿弥陀仏の十劫正覚(じゅうごうしょうがく)に、一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と
 決定(けつじょう)するところ也。
 信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし。


この夢告は、まさに大鉄槌(てつつい)であり、また大覚醒(かくせい)でもあった。鉄は打たれて柔らかくなる。
いかに骨身をけずる修行をしても、気負いが我になり、かえって仏の世界から遠ざかってゆく。
そこを打ち砕かれ、目から、うろこがとれた。信不信もなくなった。浄不浄も消え去った。絶対不二、無差別平等の大世界が展開してきた。不動の一遍が誕生したのである。

大切だからもう一度言っておくが、信仰にとって気負いほど恐ろしいものはない。
修行が気負いになる。
学問が気負いになる。
こんにちの言葉でいうなら、優越感である。驕慢(きょうまん)心である。これまでの智真(一遍)には、それがあった。潜在的にしろ、頭のどこかにあった。それを打ち砕かれたのである。

 御房(ごぼう)のすすめによりて、一切衆生はじめて往生すべきにあらず

とは、何という厳しい言葉であろうか。

                                 抜粋ここまで



「あなたの力で衆生(わたしたち)が救われるのではありません。衆生(わたしたち)が救われることは、とうの昔に阿弥陀仏によって決定されています。それよりあなたのやるべきことは、信じるものにも信じないものにも、善人にも悪人にも、すべてのひとに阿弥陀仏の救いが必ず来るという福音を伝えることです。」




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