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捨て果てて   一遍上人語録


一遍上人語録 -捨て果てて-
坂村真民さん著


・・・・・遊行腑算(ゆぎょうふさん)の一遍独自の念仏行が開始され、野に臥し草をしとねとし、粗衣粗食に甘んじ、決定往生(けつじょうおうじょう)六十万人の発願に燃えながらの困苦難渋の旅が続けられ、さすがの頑健な体にも流転流浪の疲れが生じ、神戸の観音堂で五十一歳の生涯をとじたのである。といい

思うに一遍の偉大さは、一山にこもり堂塔伽藍(どうとうがらん)を建てることもなく、国家安泰を祈願し、自己の栄達を図ることもなく、また悟りの深さを書き残すこともなく、橋をかけ池を作ったりすることもなく、一切を捨てて諸国を遊行(ゆぎょう)し、無差別平等の真の念仏を伝え、一人でも多くの人に浄土行きの腑算札(ふさんふだ)を配り歩いたことである。こういうことは、そう誰にもできることではない。一遍上人独自の生き方である。

わたしは宗教というものは、どう生き、どう死ぬかであると思っている。だから上人のこうした生き方に、特に心ひかれるのである。

    中略

b08122302.jpg
13世紀の京の賑わいの片隅に「乞食」「非人」「病者」(ハンセン病者や身障者 覆面姿をしている)
の集団が描かれているのを見つける。「浄、不浄を嫌わず」「信、不信を選ばず」一遍は誰にも差別せず、救済を説いた。

わたしが一遍上人を、この人こそわたしの先達だと感じ取ったのは、非人乞食の者たちと思われるのが、(一遍上人が)お堂で説教されているのをじっと目をひらかせ縁の下で聞いている、その絵(一遍聖絵)を見たからである。非人乞食にもこの人の本当の偉さがわかるのである。いや立派な衣を着た者たちよりも、人間ではあるが人間としてのあつかいを受けない彼らは、直感的に人間のよしあしを見分ける鋭いものを持っている。その彼らが、この方は本当にわたしたちを知って下さっている、そういう目で、そういう耳でじっと聞いているのを見たとき、ああこの人こそわたしが求めていた真の先達であると思った。

どん底から人を見る目、上から見るのではなく、下から見る目、これはわたしの特性とも言ってよいのであろうが、この非人乞食の絵(一遍聖絵)にわたしはすっかり魅せられてしまった。



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