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この軽さ、この涼しさは、どこからくるか 『念ずれば花ひらく』より


『念ずれば花ひらく』
坂村真民さん



抜粋

わたしが伊勢にある神道の学校を出ながら、仏教の世界に入り、それも一宗派の信者信仰家にならなかったのも、わたしの体質からであろう。こういうわたしの体質は、父からきているのか、母からきているのか、それともわたし自身が得たものであるか、はっきりわからないが、ともかくわたしの体はすべてを受け入れる特殊なものを持っている。

真実の自己を求めて――一遍との出会い

わたしが一遍を知り、一遍に近づき、一遍をわが先達とまで仰ぐようになったとき、いったいわたしは一遍のどこに、何に、こうまで心ひかれるのであろうかと、思いを深め、自らに問うのであるが、いつもきこえてくるのは、この何ともいえぬ、「涼しさ」なのであった。
これは、法然にもなく、親鸞にもなく、道元にもなく、日蓮にもなく、一遍独自の風光であり、人がらであり、念仏である。

中略

しんみんよ
お前は一遍のどこにひかれて、そんなにも彼のあとを追わんとするのであるか。
そう問いかけるとき、いつも五体に感ずるのが、この涼しさなのである。だからわたしに言わせたら、一遍のすべてが、この涼しさである、といってもよいのである。
わたしはこのような祖師を、他に求めようとするのであるが、みなその風は重いのである。多くの人は、その重さに心ひかれるのであろうが、わたしが芭蕉を恋い、彼のあとを追わんとするのも、あの晩年の軽さにある。
では、この軽さ、この涼しさは、どこからくるか。それはみな旅からきている。遍歴からきている。

思うに涼しさは印度のものではない。また中国のものでもない。あくまで日本のものであり、更に言うならば、四国のものなのである。一遍はその四国なのかで一番よい瀬戸内の海のほとりに生まれたのである。だからどの祖師よりもこの涼しさを、生得的に持っているのである。
一遍の遍歴は全国に及んでいる。しかも彼は山河草木と念仏している。ここらが他の祖師たちと全くちがうところで、わたしが彼を祖師中第一の詩人として恋い慕うゆえんである。


身につきて燃ゆる思ひの消えましや
涼しき風の煽(あふ)がざりせば

もう何も言うことはない。仏法とは涼しき風なのである。



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