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死ぬことがわかっている時、人はどんな思いを抱くのか 戦艦大和

靖國神社発行「靖國 やすくに」より    平成25年10月1日発行

戦艦大和と靖國神社    門田隆将(ノンフィクション作家)

この夏、わたしは広島県の呉市を訪ねた。
高校生の息子が、「大和ミュージアムに行きたい」とせがむので、締切の合間を見つけて呉を訪れたのだ。
拙著『太平洋戦争 最後の証言』の完結編「大和沈没編」を昨年四月に上梓しているわたしにとって、呉は馴染みの土地である。
呉で生まれ、東シナ海に沈んだ戦艦大和に、わたしは特別な感慨を持っている。
それは、大和が、日本人の「希望」「誇り」を表わす艦だからである。
建造中は、「一号艦」と称され、一般の国民にはその存在すら知らされなかった大和が、なぜ日本人の「希望」と「誇り」を表わすものなのか。それは少々説明を要する。
わたしは、「大和沈没編」を著わすにあたって、二十人近い元大和乗組員にお会いしている。そのうち、沈没時に大和に乗っていた方は、十四人である。
昭和二十年(1945)四月六日、戦艦大和は、米軍に侵攻されつつある沖縄を救うべく、徳山沖を出撃した。
大和以下、軽巡洋艦一隻と駆逐艦八隻で構成された第二艦隊は、沖縄周辺の敵艦船に対する総攻撃を決行せよ、という命令だった。
それは、「撃って撃って撃ちまくり、最後は沖縄にのし上げて、斬り込め」という“生還”を期さない水上特攻にほかならなかった。
しかし、四月七日午後二時二十三分、大和は、三百機を超えるアメリカ航空部隊の猛攻を受け、東シナ海に沈んだ。
三千三百三十二名の乗組員のうち、“重油の海”から奇跡の生還を遂げたのは、二百七十六人だった。そして、沈没から七十年が近くが経った今、その生存者は二十名ほどになっている。
わたしは、彼らが後世に託す証言をどうしても聞きたくて、数年をかけて全国を訪ね歩いたのだ。
わたしが生還者に伺いたかったのは、沖縄への水上特攻という「死」に向って突き進む時、それぞれがどんな思いをもっていたのか、ということである。
死ぬことがわかっている時、人はどんな思いを抱くのか。零戦をはじめ、特攻出撃しながら、エンジンの異常など、さまざまな理由で命を拾った人々にも、『太平洋戦争最後の証言』シリーズでわたしは数多く会っている。
果たして、大和に乗った人々は、「“死”に突き進むことをどう思っていたのか」ということをどうしても知りたかったのである。
わたしが生還者たちにその素朴な質問をさせてもらった時、想像もしなかった答えが返ってきた。
「門田さん、わたしたちは軍人として沖縄を助けるために、水上特攻を命じられたのですよ。軍人というのは、“死ぬ”ということは珍しいことではないんです。むしろ、それが普通です。自分の生と死よりも、自分たちは軍人として果たして使命を果たせるかどうか、それが心配でした」
わたしは、自分の命のことよりも「使命を果たせるかどうか」が心配だった、という話をお聞きして、軍人としての凄まじい気迫と使命感に触れたような気がした。
そして、わたしの心を動かしたのは、次の言葉だった。
「門田さん、わたしはね、今でも沖縄を助けられなかったことが残念なんですよ。沖縄の方に申し訳ない。今もそれを思うとつらくなるんです・・・」
沖縄の人に対して申し訳ない――――――その生還者は、万感をこめてそう語ったのである。
わたしは、しばし言葉を失った。戦後七十年近く経った今でも、あの昭和二十年四月に沖縄への特攻を命じられた乗組員が、その使命を果たせないまま東シナ海に沈み、沖縄の人々を助けられなかったことを悔いている。
そのこと自体がわたしには衝撃だった。わたしは、それからも何人もの大和の生還者にお会いした。
彼らは、言葉は違えど、沖縄への突入を果たせなかったことに対する無念と申し訳なさを口にした。軍人としての使命を果たせなかったことを彼らは今も悔いていた。
わたしはその時、航空特攻によって、三千人以上の若き飛行士たちが沖縄に向かい、蒼い海原に散っていったことを思い起こした。いったい沖縄を助けるために、どのくらいの若き命が失われたのか、と。
大和乗組員は、家族への思いを断ち切って、水上特攻に臨んでいる。最後の出撃の四カ月前の昭和十九年十二月、レイテ沖海戦から帰還した大和では、乗組員たちに帰省のための休暇が与えられた。次の出撃が「最後だ」ということは皆がわかっていた。それは、「自分の死」を親に告げるための帰省だった。
しかし、そのことを親に告げることができない若者が相次いだ。軍人と言っても、実年齢では二十歳そこそこであり、中には十代後半の水兵もいた。
「もう帰ってこれないからとは、言えんかった」という兵は、別れの時、遠くからずっと手を振る両親に“手旗信号”で、「い・つ・て・き・ま・す」と、別れの挨拶をした。
また、ある兵は、親にこう告げたと教えてくれた。
「(艦は)沈んじゃうから、海軍は、骨が帰らんで。残してある髪の毛でお弔いをしておくれん」。
坊主同然の短い髪の毛を切って母親に渡したそのシーンを、その人は涙ながらに語ってくれた。母親は唇を噛みしみて黙りこくり、駅まで見送りに行くこともできなかった。
また出撃直前の昭和二十年三月の終わり、呉での最後の休暇(これを海軍では“上陸”と呼ぶ)の時、実家が近い者は、肉親を呉に呼んでいる。やがて、時間が過ぎて、別れの時が来る。
ある兵は、帰って来ることができないのに「行って来る」という言葉を発することができず、ただ敬礼するのみだった。
また、別れの挨拶をして両親に背を向けたら、「もう振り向けなかった」と述懐した元兵士もいる。うしろを向いたら涙が溢れてしまい、その上、母さんが手を振っているのを見たら、もう行く自信がなくなってしまうからだと、元兵士は語った。
両親との別れを哀しみ、先立つ不孝を詫びながら、彼らは「死」へと旅立っていったのである。そういう若者が三千人以上、大和に乗り組んでいたことをわたしたちは忘れてはならないだろう。


「靖國で会おう」

太平洋戦争の主力となった彼ら大正生まれの若者は、こうして祖国を守るために、自分の命を捧げた。祖国とは、家族であり、故郷である。そして、敵の手に陥ちんとする「沖縄」でもあった。
わたしは大正生まれの若者たちは「他人のために生きた人たち」だと思っている。自分のためだけに生きる現代人とは、対極にいる人たちだった
わたしが大和の生還者たちから聞いた話の中で、印象深かったのは、出撃前夜の四月五日夜に艦内でおこなわれた壮行会である。死を共にする兵たちは、死を目前にして酒を酌み交わした。
三千人を超える人たちが「酒保(しゅほ)を開け」という号令と共に無礼講で最後の酒宴を開いた。それぞれの部署で酒盛りが始まった。
「不思議に辛いとか悲しいという気持ちは消えていた」、「任務を果たしたい、とそれだけを思っていた」、「お前とは最後も一緒だったなあ、と話し合った」、「最後の飲み会が湿っぽくなるのだけはいやだったなあ」
この時のことを元兵士たちは昨日のことのように語ってくれた。死ぬことがきまっている男たちの飲み会は、わたしには想像もできない。
そこでは、思い思いの歌が飛び出し、故郷や家族のことが語られた。そして彼らが最後に告げあった言葉は、

「靖國で会おう」

だった。肉体は滅びるが、魂は英霊となって靖國神社に行く。そこでふたたび会おうじゃないか。彼らはお互いそう言い合って、別れを惜しんだのである。
わたしはそのことを聞いた時、なんとも言えない感慨がこみ上げた。たとえ肉体は滅んでも、魂は靖國神社に行く。そして、そこで会おう。それは、あまりに切なく、哀し過ぎる歴史というほかない。
戦後六十八回目となった今年の終戦記念日の全国戦没者追悼式で天皇陛下は、こう御言葉を述べられた。
「苦難に満ちた往時をしのぶ時、感慨は今なお尽きることがありません」
それは、戦歿者への万感の思いをまさに凝縮させたものだったと思う。そして、
「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」
こう締めくくられた陛下の御言葉は、多くの戦歿者御遺族の心を捉えたに違いない。それは歳月による「風化」というものに懸命に抗(あがら)う言葉であったからだ。
間もなくその終戦記念日を迎えようとする八月上旬、呉にやってきた私は、息子と共に呉市長迫町にある「海軍墓地」を訪れた。
蝉しぐれの中、「戦艦大和戦死者之碑」はわたしたちを待ってくれていた。ここに来るのは、いったい何度めだろうか。沖縄を助けるために三千三百三十二人もの人間が一丸となって「死」に向って突き進んでいったこと。それは、日本人にとって「希望」であり、「誇り」であると思う。
心をひとつにして、「沖縄を助けに出撃した」、すなわち他者のために命を捨てた若者たちがいたことを、わたしたちは忘れてはならないと思う。そして、彼らが魂となって靖國神社で仲間と会おうとしたことを。


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