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人間なんて少しも変わっていないということである

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

わたしは『抱朴子(ほうぼくし)』(葛洪かっこう著)が好きで、一時読み耽ったことがあるが、中国文学の中で、わたしは儒教のかたぐるしいのより、こんな本が肌に合っているようだ。

(抱朴子より)

 世の人は豚のように食って一日ごろごろしている

必ずしも学問に励み、徳の向上に努めることはできない。ただもろともにぶらぶらと遊び歩いて年月を過ごす。目の色を変えるのは、名誉か利益だけ。・・・・・・・・・・・時には延々と杯さかずきをやりとりして沸きかえるような騒ぎ。時には美女と共に管弦に耽ったり、・・・・・・・・・・博奕ばくえきをして時間を浪費する者もある。真理の言葉を聞く時は、酔っ払いのよう。道を説く書物を見せられると白昼に眠っているかのよう。わが身一つが修められず、ややもすれば、死の危険に足をふみ入れる。不老長生の法を問おうとはせず、われとわが身を削り、煎りたて、憔悴させ、命の水を漉(こ)し流そうとしている。一方、道を弁えた人は、自分の知識を大切に・・・・・・俗人のところへ出向いて押しつけに教えようとはしない。

今の世に読んでもなかなかいいものである。というのは、人間なんて少しも変わっていないということである。
ちなみに、抱朴子、本名は葛洪、284年から363年まで生きていた。抱朴子と号したのは素朴を愛するからだという。幼い頃父に死なれて貧乏したらしいが勉強が好きで、遠くまで蔵書を尋ねて、自分の知識を広めたという。
抱朴子は、こんなことを言っている。
禍を足ることを知らないより大きなものはない。幸いは止まることを知るより結構なものはない。溢れるばかりのものを持ちながら、空虚なようにして暮らすのが万全の策である。うかうかと気を許して栄耀栄華を極めるのは助かりようもない危険な道である。

人間というものは抱朴子の時代と殆ど変っていないと言えよう。いや却って悪化しているかも知れない。だからこそ抱朴子の言っていることが、今のわれわれの心を打ってくるのである。
抱朴子は実に面白い本である。近ごろの小説よりよっぽどおもしろい。心ある人はどうかいっぺんよんでもらいたい。
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