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いたみを持つ人は幸いなり

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

いたみを持つ人は幸いなり

にこやかなお顔をしていられるけれど、たいていの仏さまは、いろいろのかなしい歴史を持っていられる。その身にくい込むようないたみのゆえに、一層美しく見えるのであろうか。だから自然と手が合わされてくるのである。


いたみのない人には、わたしの詩は無用である。


病気で長く入院している人たちが、自分も人さまのために点訳の奉仕をしようとする人々がふえた。 中略
病気していると心は純一になり、同病相あわれむというか、だれでも見ちがえるように磨かれてくる。

ところがである。自分の体のいたみがとれ、病気がしだいに良くなってくると、もう純一さがどこかへ行ってしまい、人への奉仕などという美しい尊い心も消えてしまい・・中略…
まあ治ったのだから、それでいいんだろうと思うものの、人間というのは勝手なものだと、つい不平をもらすこともしばしばであった。


「晩年の仏陀」

背中が痛い
背中が痛いと言いながら
あるときはただ一人で
あるときはアナンと二人で
老樹の下や
川のほとりで休んでいられる
八十近い世尊の姿に
一番こころひかれる



岡山県のらい療養所「長島愛生園」にて
ああ、この人たちの体の痛み、心の痛みを知れということで、かって盲目になろうとしたり、ひどい皮膚病にかかったりしたのだ。もしこのような病気にかからなかったら、今日こうして一緒に席を共にし、手を握ったり、肩をたたき合ったりする自分にまで成りえなかったであろうなあと。中略
人のいたみのわかる人が、本当の人間なのだ、


神道の学校を出ながら禅に参じ、さらにキリスト教の霊導を受けたのも、すべては詩に生き、詩に死すための不動の心を身につけたい一念からであった。


わたしは生き堪えてゆくために詩を書き出したのであり、この弱い自分を強い人間にきたえあげるために詩に生きようとしたのだった。
わたしのような者でも、何とかして生きたい!そう願い祈るとき、わたしに救いとなるものは、詩だけなのであった。


思えば、この世よりあの世の方がずっと長い。この世での願いも大切であろうが、その長い長いあの世での生き方をどうするか、わたしはわたしなりに考えてきたのであるが、最近このお二人の方から、その在り方について教え、その在り方について教えられ、わたしも 浄土へは行かぬこととした。

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