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生きてゆく力がなくなる時

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

敗戦という祖国の悲劇がなかったなら、わたしは外地で根なし草のような人間として、二度とない人生を、個の生活に終始してしまったかも知れない。


父の生まれた坂ばかりの村に移り住み、わたしは谷間の小さい複式の学校に転校した。そして一層孤独な少年となり、木や草や鳥たちと心を通わせ、他の子どもたちとはちがった心の生活をしていった。


何もかも晩成(おくて)のわたしである。人は四十にして不惑の精神確立をするのに、わたしはその四十から新しい出発を開始した。いよいよ詩と禅とのはげしい戦いが始まり、半ば盲目(めしい)になるまで求道(ぐどう)は続けられ、その間十年の歳月が流れ、十冊の詩集が生まれた。


生かされて

生きる

という何とも言えない喜びに満ちた生き方は、そうやすやすとやってくるものではない。いくら口で言ったとしても、病気をしたり、失敗をしたりすると、すぐくずれる。神も仏もないものだと言ったりする。人間というものは、葦のように弱いのである。そのことは、長い人生を経てきた人はだれもが経験し、知りつくしている。


わたしの好きな一遍上人の言葉にも、
  念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界(きょうがい)をもすて、貴賤高下(こうげ)の道理も
  すて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて
  申す念仏こそ、弥陀超世(ちょうせ)の本願にもっともかなひ候へ。



  生かされて生きるということは
  任せきって生きるということであり
  任せきって生きるということは
  自分を無にして生きるということであり
  自分を無にして生きるということは
  自分の志す一筋の道にいのちをかけ
  更には他のために己の力を
  傾け尽くすということである


二度とない人生を意義あらしめ、自分は自分なりに、どんなに小さくてもいい、自分の花を咲かせて、世を終わりたい希望と決意とが生まれてきた。


善必ずしも善いとは限らない。悪必ずしも悪いとは限らない。この二つはいつも結び合いながら回転している。
生必ずしも喜ばしいものとは限らない。死必ずしも悲しいものとは限らない。これも互いに結び合って輪廻している。このことを知ると、たいがいのことは解決する。


二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、生きねばならぬ。その力を信仰から頂かせてもらうのだ。わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。


  死のうと思う日はないが
  生きてゆく力がなくなることがある
  そんな時お寺を訪ね
  わたしはひとり
  仏陀の前に坐ってくる
  力わき明日を思う心が
  出てくるまで坐ってくる



  生きていることが
  楽しくならねばならぬ
  たとえ貧乏していても
  ベッドに寝たきりでいても
  心一つで
  楽しくなれるものだ
  光が射してくるものだ
  人々の幸せのために
  湧き出してこられた
  仏さまがたが
  手を差しのべていられるのだ
  しっかりおん手を握って
  生きてゆこう


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