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横須賀市観音崎公園 戦没船員の碑

第42回戦没・殉職船員追悼式が執り行われました

日 時 : 平成24年5月15日(火)午前11時~12時

式 場 : 横須賀市観音崎公園 戦没船員の碑

式次第 : 開式の辞
       国歌斉唱
       黙とう
       式 辞
       献 花
       能楽奉納
       閉式の辞 
05150005.jpg
海沿いのため、海からの風と降りしきる雨
御霊の懐いを反映してか、ぐっと迫る感がします。

雨のため、奉納 能楽「海霊」はこの後の懇親会で奉納されました。

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海霊由来記
さきの大戦において国に殉じた船員の数は、実に六万余名にも達している。
 能楽「海霊」は、これら戦没船員の霊を慰め、その徳をあきらかにし、併せて平和を祈るために作られたもの。
 その元の歌詞は、明治37年、ときの国際情勢を憂慮され、世界平和を祈念された明治天皇の御製「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を配して平和への指標としたものである。
 昭和46年3月、横須賀市の観音崎公園内に「戦没船員の碑」が建立され、同年5月6日、皇太子同妃両殿下の行啓のもとに第1回戦没船員追悼式が挙行された際、宮越賢治船長の作詞、25世観世左近師の作曲による能楽「海霊」が奉納された。
 それ以来、追悼式典には必ず「海霊」が宮越賢治船長をシテとして観世一門によって奉納されることになった。
 宮越船長は、昭和61年に亡くなられたが、その後は観世一門によって絶えることなく奉納されている。


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能楽『海 霊』の歌詞


船長 宮越賢治 作詞編集
二十五世 観世元正 作曲
 斯様に候者(は)ハ、去(さん)ぬる昭和十二年七月以来の闘ひにて、海運水産界の船に乗り、戦火の中を活躍の中(うち)、不幸海に失はれたる、船員の遺族にて候。
 さきに財団法人戦没船員の碑建立会により、其の霊を慰め、再び斯様の悲みを繰返さず、世界の平和を祈りのため、観音崎に記念碑を建て、後の世までも人々に忘れられず、語り傳へらるゝ。
 此度戦没船員の碑奉賛会による追悼の儀式に招かれたはまことに忝(かたじけな)い事でござる、急ぎ観音崎へ参らばやと存ずる。
 いや何かという内に観音崎でござる。
 扨(さて)もさても美しい景色じゃ、暫く此所に休らうで、追悼の儀を拝み申さばやと存ずる。
 
四方(よも)の海、みな同胞(はらから)とおもふ世に など波風の立ちさわぐらむ
あら有難(ありがた)の折からやな 和(やわ)らぐ光仰がんと 現はれ出(い)でし海霊(かいれい)なり
過ぎにし昭和の戦ひに 海の藻屑と沈み果て 波も音無き水底(みなそこ)に 眠る月日も幾歳(いくとせ)か 照らす光を三浦なる 観音崎の汀(みぎわ)にて、引くや綱手(つなで)も厳(おごそ)かに現れ出づる記念碑を、諸人(もろびと)集(つど)ふ目(ま)のあたり、今見る事の嬉しさよ
安らかにねむれわが友よ 波静かなれ とこしえに
瑞雲(ずいうん)棚引(たなび)く舞の袖 瑞雲棚引く舞の袖 碧(みど)りの海も静まりて 平和の光明(あき)らけく 碑の面(も)のいよゝ輝けば 人の心も和(なご)みつゝ 千代(ちよ)萬代(よろずよ)と榮えなん 萬代かけて 榮えなん
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