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特攻の記憶語り継ぐ フィリピン人 ダニエル・ディソンさん

日本経済新聞 平成20年8月3日

特攻の記憶語り継ぐ

太平洋戦争末期、米国の軍艦に体当たり攻撃した日本軍の神風特攻隊。初出撃の地、フィリピン・ルソン島に、その記憶を語り継ぐ一人の比人老画家がいる。自宅の一部には自らが描いた特攻兵の絵やゆかりの品を並べ、「カミカゼ博物館」として公開している。若くして散った特攻兵への鎮魂、戦争への戒め……。各国から足を運ぶ人々に思いを伝えている。

「鉢巻きをした二十歳前後のパイロットとすれ違うと、どんなに偉そうな年上の兵士も立ち止まり一礼するんです」
ルソン島中部アンヘレスで暮らすダニエル・ディソンさん(78)がたどる特攻兵の記憶だ。当時、特攻作戦のことは知らされていなかったが、「神風」などと書かれた鉢巻きを締めた若者たちが軍の中で特別な存在であることは理解できた。
日本軍は一九四二年五月に比全土を支配下に置いたが、米軍が四五年三月にマニラを奪回。特攻隊の存在は再占領してきた米兵から聞いた。「日本軍は特攻兵に酒や薬を飲ませて理性を奪い、操縦席に体を縛りつけて出撃させた」。米側はこう説明したが、記憶の中の若者たちのたたずまいとは一致しなかった。

ディソンさんは戦後、画家を志し、マニラのフィリピン大へ進む。画家修業を続けていた三十五歳のころ、特攻関係者の書いた英訳本を読み、特攻兵たちの心情を初めて知る。「戦争の是非とは別に、家族の住む故国を救いたいという願いや自己犠牲の精神に心を揺さぶられた」

早朝の基地を飛び立つ特攻機と思われる機影があらためて脳裏によみがえる。アンヘレスの隣町、マバラカットを飛び立ち、レイテ沖の米空母を撃沈したのが最初の特攻だったことも確認した。

七三年、有償・無償で譲り受けた特攻服などゆかりの品や、記憶と記録をたどって描いた兵士の姿を自宅の一室に並べ、公開し始めた。「比を踏みにじった日本軍をたたえる必要があるのか」との声も多い中、七四年には当時のマルコス政権に掛け合い、飛行場跡地に記念碑も建てた。

「カミカゼ博物館」と名付けた自宅の資料スペースには、比の学生や日本の遺族のほか、欧米人も訪れる。現在の展示点数は約五十点。「特攻兵の命を惜しむ思いと、戦争を憎む気持ちをともに忘れないようにしている」。ディソンさんは来場者にこう語りかける。

二〇〇一年の米同時テロ後、特攻兵と自爆テロリストの類似性が取りざたされるようになった。「特攻兵が死を賭して突入したのは敵の戦艦。一般市民を無差別に狙ったわけではない」としつつ「若い命が犠牲になるのは同じ」と嘆く。
特攻隊が飛び立った基地一帯は太平洋戦争後、クラーク米軍基地として朝鮮戦争やベトナム戦争を経験した。九一年には、比のナショナリズム台頭やピナツボ火山噴火の影響で米軍も撤退。現在はアジアの物流拠点として民間機が飛び交う。

米国で暮らす次男のマリオさん(49)が、資料スペース運営を継ぐことに関心を持っているという。「いつかは任せるかもしれないが、カミカゼを直接見た者にしか伝えられないことだってあるでしょう」。まもなく戦後六十三年。記憶を語り継ぐ日々は続く。
(マニラ闘遠西俊洋) 

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