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国の為 重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき 

推薦著書
「散るぞ悲しき」 梯(かけはし)久美子   新潮社 より


硫黄島の兵士たちは、陣地構築で体力を激しく消耗しながらも訓練を怠らず、自らを鍛え上げていった。
何よりも、何としても・・・・・硫黄島を守り抜き、内地(日本本土)への空襲、そして米軍の本土侵攻を防ごうという気迫が、彼らを精鋭に仕立て上げたのだろう。



死力を尽くして戦った日本軍だったが、・・・・しらみ潰しに砲撃を加えてくる米軍によって(1945年)2月26日までに元山飛行場を喪失する。・・・・・・・・・・・・
戦闘らしい戦闘はこれ以後望めず、この先も戦おうとするなら、それは死よりも苦しい出血持久戦となる。しかし、栗林は全将兵に対し、死を急ぐことを許さなかった。
潔い死を死ぬるのではなく、もっとも苦しい生を生きよ――そう兵士たちに命じることが、極限の戦場の総指揮官たる栗林の役割なのであった。

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1945年2月19日 硫黄島に上陸する米軍 (写真提供:池宮商会)

負傷者のうめき声があふれる地下壕には、硫黄の臭いとともに死臭が充満していた。壕内で死んだ者を埋葬する術はなく、兵士たちは戦友の遺体と同居するしかなかった。


(そんな中、本土では、3月10日、米軍による、東京大空襲が起こされる。その時硫黄島では・・・)

依然として日本兵たちが苦しい抵抗を続けていた。自分たちは本土の日本国民に代わって、降りそそぐ砲弾をいま受けているのだ。自分たちが敵の攻撃に耐えているうちは、父母も妻子も無事なのだ―――その思いだけを心の支えにして。


渇きと餓えに苦しみつつ米軍のすさまじい猛攻に立ち向かい、次々と斃(たお)れていった将兵たちの、痩せ衰えた幽霊のごとき姿・・・・

必敗の戦いの苛烈な苦しみの中にあえて部下たちを踏みとどまらせたのは、日本国民を空襲の惨禍から守るためだった。そして自分たちが島を守り、米軍の本土侵攻を遅らせている間に、終戦交渉が進むことを願ったのである。日本の敗戦を予測していた栗林にとって、2万もの部下を絶海の孤島で死なせることの意味は、そこにしかなかったはずだ。



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