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陸軍海上挺進戦隊 秘匿名称:マルレ艇

陸軍海上挺進戦隊(りくぐんかいじょうていしんせんたい)

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ベニア板でできた船体、自動車エンジン、
夜間、奇襲による肉迫攻撃

一艇でもって、敵軍一船を屠ることを命じられた。

攻撃に出たら、もう生還することはない。
その日のために厳しい訓練をつんで。。。
その日まで、どんな想いで生きたんでしょうか。

この時代に、このような人生を歩んでいた人たちが、たくさんいたわけです。
そして、国を護るために、民を護るために、生命を捨てた方々がたくさんいたわけです。
今からほんの70年前のことです。


一 発足の経緯
 昭和18年9月29日、船舶部隊の拡大にともない、船舶兵種を創設し、同年11月船舶特別幹部候補生制度が設けられた。この頃、落下傘部隊の菅原久一大尉(陸士51期のち海上挺進第10戦隊長)が、自ら率いて敵にあたるため、速力五十節くらいの高速艇の作製を陸軍省に意見具申した。中央部はこの種決死兵器には同意しなかった。

 昭和19年4月、陸軍船舶司令部(広島市宇品)内で、鈴木宗作司令官以下関係者の問に、海上の防衛は航空部隊のみに任せることなく、船舶部隊自らの手で実施すべきだとの意見が強まった。そのため簡単で軽量の攻撃艇を、あらかじめ敵の予想上陸正面に配置し、奇襲によって上陸船団を側背から攻撃する着想をたて、野戦船舶本廠に舟艇の試作を、また戦法等について船舶練習部にそれぞれ研究を担当させた。

 また、これとは別に、大本営陸軍部でも、この目的のため、兵器行政本部と第十技術研究所に、肉迫攻撃艇の開発を命じていた。

 19年7月海軍の「マル四」艇と陸軍の試作艇の比較試験を行ない、各種の要件を充すことで、第十技術研究所の試作になる甲一号型を採用することに決定した。

この艇は、長さ5,6米、幅1,8米、吃水0,26米、満載排水量約1,5噸、最大速力20~24節、航続時間3,5時間、250瓲爆雷一個装備のベニヤ板製の半滑走型「マルレ」で、秘匿名称を連絡艇と称した。中央部では肉迫艇の意味を込めて「マルニ」と称していた。

 昭和19各8月十ヶ戦隊の仮編成が小豆島船舶特別幹部候補生隊において完了、豊島における「マルレ」の訓練が開始された。

体当たり攻撃の実情
米軍資料によれば、「4月9日3時、(「マルレ」隊は基地より暗夜をついて出撃した。4時2,050噸の駆逐艦チャールズ・J・バッジャーは、海岸砲撃任務を完了したあと停泊中、暗闇の中から「マルレ」艇の攻撃をうけて犠牲となった。バッジヤ-が射撃を始める前に爆雷を投下し闇の中に消えた。爆発により機関室に大浸水が起こり、戦死者は出なかったが、艦は浮力を保てなくなり、慶良間海峡まで曳航擱座し、再び戦闘に参加し得えかった。(中略)「マルレ」艇が全部沈められても、泳いでいる「マルレ」生存者が手榴弾をもって攻撃してくるので、射撃を続けねばならなかった」と記されている。


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