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教科書に載っていない歴史 × 慰霊の心 = 戦史検定

ちびちゃんもそうですが、戦後教育で正しい歴史を教えられなかったために
日本が戦争を仕掛けた、アジアを侵略した、二度と過ちは犯しません、などと
先の大戦を悪い戦争だった、と考える人が多く、いえ悪く思うならまだしも
無関心な若者が多いのが現実です。
グアム、サイパン、沖縄などは、観光地でバカンスを楽しむのがほとんどで、戦跡に足を運ぶ人は少ないそうです。

現在は次の瞬間に過去になります。人は誰でも歴史の過程の中で生きています。
その歴史を誤った認識で、あるいは歴史なんて考えないで生きているとしたら、ちょっと人として
はずかしい。。。ですよね。

大戦中のあの日本の姿がなかったら、今、日本という国は存在してないと思います。
そしてアジアの各国の独立も実現してない。

では日本の姿とは、実際のところ、真実はどうだったのか。
知るためのチャンスの一つとして

戦史検定
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「第6回戦史検定」広告
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「戦史検定」受検応募要項
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「戦史検定」趣旨とこれまでの実績
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コロンブス以来、スペイン人の征服者によって中南米の原住民のインディアスが、どれほど犠牲になったか


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

ヨーロッパ人による現地の推定犠牲者数

ではスペイン人はなぜ、自由に殺し、奪い、言語に絶する残虐行為を犯してよいと感じたのであろうか。なぜ、インディアスの置かれた状況に同情を覚えなかったのだろうか。その答えとして、トーマス・バージャーは次のように述べている。
「(その原因は)その勝利のあまりの唐突さにあった。スペイン人はその征服の容易さを、ヨーロッパ文明の優越性とキリスト教の優秀性の証だと見た。インディアスが敗北したのは、彼らが静的な退嬰的な社会集団で、挑戦を受けた時、効果的に対応できなかったためである。彼らはすぐ屈服してしまい、同じあっけなさで彼ら自身の神を捨てて、キリスト教に帰依した。
ヨーロッパの征服者にとっては、インディアスは語るべき何の物語も持たなかった。実際、インディアスは、書かれた言語をもたなかったから、その歴史や信仰についての記述は、ヨーロッパ人にゆだねるより仕方無かった。ラテンアメリカでインディアスの権利の無視が続いたのは、こうした初期の出会いに由来している。」

さてコロンブス以来、スペイン人の征服者によって中南米の原住民のインディアスが、約1世紀の間にどれほど犠牲になったかを推計してみる。これをカリブ地域とメキシコ中央部のアステカ地域とペルー中心部のインカ地域に分類してみる。


カリブ海地域の犠牲者  38万人
アステカ地域の犠牲者  2400万人
インカ地域の犠牲者   820万人

以上、約3300万人である。

では、コロンブスが到着した1492年頃、これらの地方の原住民の数はどうだったか。
最大推計で1億1000万人、中間推計で7000万人、最小推計でも4000万人である。
インカ帝国が完全に滅亡した1570年頃、この地方の人口は合計1000万人に激減してしまっていた。これは最大推計の1億1000万人から見ると、約1/10に減ったことになり、ほぼ1億人ものインディアスがヨーロッパ人の征服の犠牲になったことになる。この数は、直接の殺戮の犠牲だけではなく、ヨーロッパ人がもたらした伝染病の天然痘やチフスによる死者も含まれる。
ヨーロッパ人の侵略によって、1世紀足らずの間に、それまで独自の文明を打ち立てて、平和で幸せに暮らしていた罪のない先住民を、ほぼ全滅させてしまったのである。これまでの人類の歴史の中で、これほどの悲惨があったであろうか。
先住民が白人によって受けた被害は、人的犠牲だけではない。大量の金、銀などの宝物が、ヨーロッパに持ち去られた。白人の新大陸征服の目的の一つが、黄金の獲得であったからだ。1660年までにヨーロッパに持ち去られた金は、解っているだけで181トンである。
インディアスが長い間かかって勤労して貯めた宝物を、白人は何の努力もせず、所有者を殺し、奪っていったのである。
ヨーロッパ人が、野蛮人だと蔑視していたインディアスは、彼らが亡ぼした16世紀のアステカ文明やインカ文明よりもっと以前に、この地方に巨大な石の文明を築いて栄えていたのである。そのひとつが、ユカタン半島に残るマヤ文明である。この文明は、4世紀から10世紀にかけて都市国家を形成し、高度の文化を誇っていた。今に残る巨大な石造りのピラミッドに象徴されるとおりである。

白人の残虐非道な手は、5世紀後の大東亜戦争まで一貫して使われる常套手段だ

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

インカ帝国を制圧したピサロ

アステカ王国を占領、莫大な黄金を得たコルテスのニュースは、カリブ海を探索中のピサロにも届いた。1523年、計り知れない黄金に恵まれたアンデス山中のインカ帝国のニュースを耳にしたピサロは早速インカの地を求めた。
エクアドルからボリビアまで延びる高地に沿って建設されたインカ帝国は、建国してまだ100年足らずであったが、山々を縫う道路、農業台地、雲の中に建設された高山都市と、驚くべき偉業が成し遂げられていた。皇帝アタワルパは、ピサロの進軍を知っていたが、途中で攻撃するような卑怯なことをしなかった。ピサロはアタワルパに使者を送って、来るよう招待した。ところが、ピサロははじめから皇帝を捕虜にしようと決めていた。ピサロの従軍司祭の神父は皇帝に近づき、通訳を通して、キリスト教への改宗を求めた。王は当然それを退ける。するとピサロはこれからの流血の事態に対するいかなる責めからも、神に名において免ぜられると告げた。
ピサロの合図で、騎兵隊が躍り出て、非武装のインディアスに襲いかかり、数千人をあっという間に殺してしまった。王の従者は王を守ろうとしたが、たちまちスペイン人の剣客によって切り捨てられた。王は人質にされ、ピサロはインカ帝国の支配権をこうのようにして奪った。インディアスの相手を疑わない寛容な善意の対応を裏切った騙し打ちであった。
このような白人の残虐非道な手は、5世紀後の大東亜戦争まで一貫して使われる常套手段だ。

捕えられた王は、部屋一杯の黄金をピサロに差し出す。その量はヨーロッパの半世紀分の生産量に相当するものだった。その途端にピサロは王を裁判にかけ、ロープで絞殺した。
ピサロは王の腹違いの弟に王位を継がせ、首都クスコに進軍した。どこまでも王を人質にして利用するためだった。そしてこの最後の王もクスコに連行されて、中央広場で斬首された。
先住民の制圧に勝利したスペイン人の征服者たちは、強制労働と貢物の強要を意味するエンコミエンダ制を、メキシコからペルーに広めた。
インディアスは唯一入手できる労働力として新植民地の経済的前進に不可欠のものだった。征服者たちは農業をまったく知らなかった。インディアスなしでは征服した土地はほとんど無価値に等しかったからだ。これはコロンブスが書いた通りであった。コロンブスの書より
「エスパニョーラのインディアスこそ富そのものである。なぜなら、彼らは地を掘り、われらキリスト教徒のパンやその他の糧食をつくり、鉱山から黄金を取り出し、人間と荷役動物の労役のすべてをするのが彼らだからだ。
メキシコとペルーのスペイン政権が栄える唯一つの道は、インディアスに労役を要求し、その土地を取り上げることで彼らをスペイン人の支配下に保ち続けることであった。そのため大量殺戮と恐怖政治が続けられた。(ちびちゃんHPの別ページ グアテマラの歴史も同じです)
インディアスは、征服者たちに何の罪悪感もなく殺された。殺された者の身元などだれも気にしなかった。
スペイン本国マドリードの中央政府から遠く離れた地にあって、法的禁制などすべて力を失っていた。

生き残ったインディアス子孫の物悲しい現在の姿

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

コルテスの「アステカ王国」征服

スペイン人の中・南米大陸の制服は、世界史上空前の信じがたい出来事だ。スペイン人のコルテスはアステカ王国を征服し、支配を確立し、同じくフランシスコ・ピサロはインカ帝国を滅ぼしてしまった。これによりメキシコとペルーのインディアスは、隷属と悲嘆の中に細々と生き残ることになった。現在、アンデスの町々の街頭で子どもをあやしながら手芸品を売ったり、物乞いをしている、山高帽をかぶった小柄なインディアスの女たちを見かける。彼女らが生き残ったインディアス子孫の物悲しい現在の姿である。
コルテスが1519年にペラクルスに上陸すると、インディアスは手厚く迎えた。アステカ皇帝のモクテスマは黄金製の宝物を車いっぱいに積んで歓迎した。黄金、これこそスペイン人が探し求めていたものだった。それがあふれるばかりここにあった。この宝を略奪し帰国すれば、大金持ちの英雄になれると直感した。コルテスは部族同士の争いをうまく利用して漁夫の利を得たり、アステカ皇帝に反抗する部族を手なずけて活用するという常套手段を使ってアステカ帝国を滅亡させた。

これを読んだとき、もう本当に身の毛がよだちました。この時も、人間には自由選択が与えられていた。もともと平和に暮らしていた先住民たちの後でただ現地に漂流しただけのスペイン人。先住民たちと共存し、学び合い、生きていくという選択肢はあったはず。ところがこの貪欲なスペイン人が選んだ選択は・・・・人間として最低最悪レベルの選択でした。私はもう人間の本当にすさまじい、すさまじい業の深さを感じました。似たようなこと、ずっと続けています。純粋な先住民、住民をうまくそそのかして洗脳し、手なずけてその国で革命を起こして滅ぼすやりかた。戦争を起こさざるを得ないよう仕向ける汚い手口 (byちびちゃん)

スペイン人はインディアスに対して身の毛もよだつ残虐行為をした。それがいかに恐るべきものであったかをためらわずに語ることはできない。

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

神の名のもとに、何をしても許されるという論理

スペイン人はインディアスに対して身の毛もよだつ残虐行為をした。5世紀たった今日でも、それがいかに恐るべきものであったかをためらわずに語ることはできない。
ドミニコ教会司祭がもたらした、カリブ海でのスペイン人の野蛮行為についての二つの目撃談:
「数人のキリスト教徒が乳飲み子を抱いた一人のインディアスの女と出会った。彼らは連れていた犬が腹を空かせていたので、母親から子どもを奪い生きたまま犬に投げ与え、犬は母親の前でそれをがつがつ食い始めた・・・・出産して間もない女たちが捕虜の中にいたとき、もし赤ん坊が泣きだすと、スペイン人たちは子どもの足をつかんで岩に投げつけたり、密林の中に投げ込んだりして、赤ん坊が確実に死ぬようにした」「鉱山での現場監督(スペイン人)の誰もが、その配下にあるインディアスの女と寝ることを習慣としていた。気に入れば、女が既婚者であろうと未婚であろうと。監督はインディアスの女と小屋に留まる一方、その女の夫は山から黄金を掘る仕事に送られた。持ち帰った黄金の量が少ないといって打ちすえられたり、鞭打たれ、手足を括られてベッドのそばに犬のように投げ倒され、そのすぐ上で監督が彼の妻と横になっていることがよくあった」(トーマス・バージャー著『コロンブスが来てから』朝日選書)
このようにインディアスたちは非人間的な状況の下で生き、そして死んでいった。1540年までにカリブ海のインディアスは事実上絶滅させられた。

スペイン人は西インド諸島で、エスパニョーラ島のインディアスを皆殺しした

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

スペイン人の中南米インディアス完全制圧のはじまり

スペイン人はまず西インド諸島にやってきて、エスパニョーラ島のインディアスに対して皆殺し作戦を行った。鉄砲をもった歩兵と犬を伴った征服者たちは、島の狩猟採集部族を意のままに打ち破った。女、子どもを逃がさず、強姦し、殺戮した。1496年までにこの島は完全にスペイン人に制圧された。
同様な襲撃は、キューバやカリブ海の島々に対しても行われr多。征服者たちは新世界に国王の名によってやってきたのだが、さらに重要なのはキリスト教の名においてやってきたことである。教会はしばしば彼らの手先として進んで新しい土地の略奪に参加した。
司祭は兵士と一緒に先住民の村に現れ、先住民たちに向かってキリスト教信仰を受け入れるべしとスペイン語で書かれた公式の催告書を読み上げる。そこには、イエスが宇宙の主であり、彼が聖ペテロをローマ大司教に任命し、ローマ法王がアメリカをスペイン国王に授けたと宣言されていた。これに従ってインディアスは信仰に入り、スペイン国王の主権を認めることを強制された。
インディアスはスペイン語が全然分からず、言っていることも書いてある催告書も何も分からないまま従わされた。かれらはイエスのことも、国王も法王のことも聞いたこともなかった。(あたりまえ)
考える時間も与えられず、屈従するしかなかった。これを拒否すれば兵士に殺されることになった。
しかもこのお触れは「その拒否から結果する死と損失は、汝らの落ち度であることをここに言明する」といったひどいものであった。殺されなかった先住民は家を追われて、鉱山労働者、農奴、荷役動物になることを強制された。

新大陸発見の「発見」という言葉に幻惑されて、その裏にある先住民の悲惨な歴史には全く気付かないでいていた

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

スペイン・ポルトガルの世界征服
新大陸の先住民の運命と、二カ国による世界二分割構想


コロンブスのアメリカ大陸発見は、世界史上前人未到の大壮挙である。我々は小さい時から、「コロンブスの卵」」の寓話とともに、人類の発展、幸福に寄与した偉人、英雄として教えられてきた。ところが、この壮挙は、西欧白人の非白人に対する侵略史の始まり、悲劇の出発点だったのだ。我々は新大陸発見の「発見」という言葉に幻惑されて、その裏にある先住民の悲惨な歴史には全く気付かないでいていた。なぜなら、明治以来私たち日本人が学んだ歴史はすべてヨーロッパ産で、世界史イコール、ヨーロッパ史であり、文明とはヨーロッパ人がつくるもの、文明の進歩、発展や人類の幸福とはヨーロッパ人のためのものであったことに気付かなかった。
発見とは、地球の本の一隅に位置するヨーロッパ人がはじめてアメリカ大陸のあることを知っただけで、そこには紀元前約4万年から2万5千年も前から、アジアに住んでいた我々日本人と同系統のモンゴロイドが移り住んでいた。だから発見ではなく、白人が単に到達したというべきである。
白人が発見したという先住民のインディアス、インディオは、先史時代に渡ってきたモンゴロイドの子孫である。彼らの風貌は、現在の蒙古人や満州人、日本民族とそっくりである。人種的にも赤子に青い蒙古斑がでる同族である。
先住民は何でも喜んで差し出した。先住民にとって初めてみる白人の客人に何の疑いもなく親しみを持って応対したのである。
コロンブス一行は、島から島を渡って、黄金はないか、宝物はないかと執拗に探しまわったがお目当ての金は見つからず、珍しい植物や鳥や先住民奴隷をつれて、1493年3月15日、故郷の港に帰ってきた。
その後、コロンブスが3回もこの危険な航海に出たのは、ジパングの黄金にありつきたい一念があったからだ(コロンブス西航の目的地は日本だった)。彼はスペイン王との契約で、新しく発見した地域の富と資源をもたらしたら、1/10を取得できることになっていたのである。
その手段は武力を使おうともかまわないことになっていて、この探検は最初から新大陸での収奪が最大の目的だったことは間違いない。

一神教としてのキリスト教の原罪を忘れてはならない

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

身の毛もよだつ「異端審問」の実態

異端審問=日本では宗教裁判と訳されている
中世はヨーロッパの暗黒時代といわれる。その暗黒の大半は、ローマ・カトリックの狂信に由来する。キリスト教の「異端審問」の酷しさは、密告、拷問、火刑となって、ヨーロッパ世界を恐怖の底に陥れた。
第一:密告の奨励。他人を密告することは、聖職者の信頼を勝ち取り、自己の保身になる。密告社会ほど人間同士が信頼できぬ暗黒の恐ろしい社会はない。
第二:拷問の承認。なぜ愛を説くローマ教会で拷問が頻繁だったかというと、ここにも十字軍魂がある。教会は神の代理人であり、教会が用いる拷問は「神の名において」行われ、「神が欲し給う」ことなのだ。だからどんなひどい拷問をしても許される。
第三:刑罰の厳しさ。火あぶりの火刑が代表的。火刑も、絞殺してから火刑にするものと、生きながらの火刑がある。オルレアンの聖女・ジャンヌ・ダルクは、魔女として、生きながらの火刑を受けた。
中世の教会の魔女狩りとその裁判ほど残虐、残酷なものはない。魔女は告発、密告、世間のうわさだけで簡単に決められてしまったからだ。嫉妬、憎悪、不信の社会で「あの女は魔女だ」と言われただけで犠牲にされる恐ろしい時代だ。教皇イノケンティウス8世が1484年に魔女裁判を公認してから以後200年で、無実の罪で死んでいった犠牲者は300万人から900万人と諸説があって、永遠の闇の中である。これほどの凄惨な女性受難史は世界にない。
ヨーロッパ世界を混乱させ、人々を不幸に陥れた戦争は、すべて宗教に由来するといってもよい。十字軍戦争がその代表であるが、いつ果てぬとも知らぬ世界最長の百年戦争も三十年戦争も、七年戦争も、旧教と新教の紛争のユグノー戦争もみな宗教戦争である。
ヨーロッパの大衆は戦争の犠牲を受け続けただけでなく、異端審問や魔女狩りなどでいかに多くの人々が宗教の名において悲惨な目にあわされたことか。
人間を幸せにするはずの宗教が、逆に人間を不幸におとしめるという意味で、ヨーロッパほどひどいところは世界にない。その不幸を近世になって世界中に広めることになったのである。今こそ世界史におけるヨーロッパの原罪を徹底追及しなければならない。その中で一神教としてのキリスト教の原罪を忘れてはならない

十字軍の侵略の残虐行為も、世界中を荒らしまわった植民地帝国主義の暴挙も、都合のよい宗教的信念で進められた

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

聖戦とは名ばかりの「十字軍」の正体

パスカルは『黙想録』で、「人は宗教的信念によっておこなうときほど、喜び勇んで、徹底的に悪を行うことができる」と述べている。「神、それを欲し給う」という宗教的信念に訴えれば、キリスト教者をどのような罪の深さも、神の名によって帳消しにされる。罪が罪として意識されない。
ヨーロッパ人が、中世東方に侵略した十字軍の侵略の残虐行為も、近世、世界中を荒らしまわった植民地帝国主義の暴挙も、このような罪の意識を持たないですむ彼らに都合のよい宗教的信念で進められたのだ。西欧文化が「罪の文化」といわれるのはこのためだ。
十字軍というと、キリスト教徒のヨーロッパ人が、聖地エルサレムを異教徒の手から奪回するための聖なる宗教戦争だと教えられてきた。白十字の楯を持つ騎士の凛々しい正義の姿がイメージされる。だがそれは西欧の歴史家によって美化された姿にすぎない。
十字軍とは、11世紀末(1096年)から13世紀後半(1270)に至るまで、7回にもわたって行われた遠征。一般には中世のカトリック教会が異端の徒や異教徒に対して行った遠征軍のことで、後世、十字軍という言葉は、ある理想または信念に基づく聖なる正義の行動としてプラスイメージで使われてきたが、真実の十字軍はとてもそんなものではなかった。
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの兄弟宗教の共通の聖地である。だから各信徒の礼拝の自由は、誰がエルサレムを統治するにせよ、保障するのが道理で、事実イスラム統治下でもキリスト教徒の聖地巡礼は、大体保障されている。
ところが十字軍はこの長年の慣行を破り、聖地をキリスト教で独占した。
当時エルサレムはイスラム教を奉ずるトルコ系のセルジューク王朝の支配下にあった。時のカトリック教の教皇ウルバヌス2世は、エルサレムを異教徒の手から取り戻すべく「神それを欲したまう」と檄を飛ばし、西欧の諸侯や騎士は、これに熱狂的に答えた。


近代まで連なる西欧人の「十字軍」精神

十字軍は宗教的信念というより、略奪した戦利品の山分け、土地の分配といった経済的欲求に煽られた人々だ。だから第一回の十字軍で、エルサレムが十字軍の手に落ちると、大虐殺、略奪が行われた。大勢のイスラム教徒やユダヤ教徒は、神殿ないにあつめられ、火を放って生きながら焼き殺されてしまった。たちまち聖地エルサレムは血の海と化した。
ナチスによるユダヤ人の虐殺は誰でも知っている。だがこの犯罪は、ナチス固有のものではない。キリスト教徒のヨーロッパ人によるユダヤ人の迫害、虐殺の歴史は、既にこの十字軍によるユダヤ人殺しに始まっていたのだ。(大沢正道氏『ヨーロッパ帝国支配の原罪と謎』)
数次にわたる十字軍東方遠征の暴徒によって、略奪、暴行、殺戮はすさまじいものがあった。東方の人は十字軍の所行を見て、西方から来た野蛮人としてのヨーロッパ人の本性をそこに見たのである。
大沢正道氏によると、キリスト教を信奉するヨーロッパ人にとって十字軍に発揚された精神は、十字軍魂としてその後のヨーロッパ人の行動原理となっている。なるほど第二次世界大戦後のアイゼンハワー大統領の対ソ冷戦は、反共十字軍の呼びかけであり、湾岸戦争は米軍にとってはアラビア十字軍という名の聖戦のつもりだった。
このヨーロッパ白人の十字軍魂は、近世になって今度は海を越え、地球の隅々まで侵略し尽くす世界植民地時代につながっているのだ。
第二次世界大戦の米軍の極東日本への遠征も、聖なる十字軍の延長である。

キリスト教の神は嫉妬と憎しみの神 自分に従わぬものに徹底した不寛容、戦い、殺し、征服することを求めた


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

宗教戦争を続発させたキリスト教の不寛容性

キリスト教はローマの国教となり、さらに北欧に進んだ。入信しない領民は、すべて神の敵、異端として神の名により抹殺することができる。この神は嫉妬と憎しみの神であるから、自分に従わぬものに徹底した不寛容を示し、戦い、殺し、征服することを求めた。
愛はただ、この戦いに共同する者の戦友愛にすぎなかった。ローマ時代の支配者に都合がいい「お前は死ね、自分はお前のものをとって生きる。」という理論が復活した。
キリスト教思想の根本は、ローマ帝国の支配の論理に集約できる。それは「お前のものはおれによこせ、お前は飢えて死ね。お前のものを奪うことによって俺は生きる。」である。これは狩猟、遊牧民族の生存競争の原則である。キリスト教はこれを信じない異端者には特に厳しい。ローマカトリックになってからこの排他独善の傾向は、一層強化された。
これがヨーロッパ人の深刻な宗教戦争を生み、十字軍戦争、百年戦争などの原因になっている。
15世紀以後、世界に展開することによって、人類史上類のない異民族大虐殺の犯罪を起こす



可もなく不可もない蒸気のようなものが一番あぶないのだ

『大富豪の仕事術』(マイケル・マスターソン 著 ダイレクト出版) より

「余暇の過ごし方にはその人の人生を活性化させる黄金となるものと、可もなく不可もない蒸気のようなもの、そして害となる酸のものがある。
この害となるものはもちろん一番良くないものだが、正常の判断ならあまり触れない。
だが、この可もなく不可もない蒸気のようなものが一番あぶないのだ。
それは少しなら問題ないが、習性となりやすく、取り過ぎると人を無気力にさせる。」

著者によると、娯楽の過ごし方には、以下の3種類があるといいます。

1. 人生を活性化させる黄金となるもの
とにかく自分を改善するもの

2. 可もなく不可もない蒸気のようなもの
自分をほとんど変えないもの

3. 害となる酸のもの
とにかく自分をダメにするもの


それぞれについてあげてみると・・・・著書を参考にしながらの私見です ^^


1. 人生を活性化させる黄金となるもの

ヨガ
瞑想
ボランティア(自己満足でない動機)
自己の振り返り、内省
家族との有意義な時間を過ごすこと
自己研鑽としてやっている活動をすること
清浄な所に行って過ごすこと
技術向上のための本を読むこと、
誰かのことを想い行動すること



2. 可もなく不可もない蒸気のようなもの

スマホ、タブレットで仕事や学びのためでなく、興味本位的に画面を見ること
娯楽番組・マンガ
いつもの飲酒
スマホでゲーム
Facebook、Twitter、LINE



3. 害となる酸のもの

低俗な娯楽番組
暴力的な、低俗なゲームに興じる
遊びの中で人に迷惑をかける自己中心的な行い
快楽、享楽のみを追求した旅行


著者は「この可もなく不可もない蒸気のようなものが一番あぶないのだ」
と言っています

その人の人生を決めるのは
「可もなく不可もない蒸気のようなこと」
だというのです。

怖いのは、この
「可もなく不可もない蒸気のようなこと」を一番多く、ほとんどの人が
日常的にほぼ毎日やっています。
だって一番楽なわけですから。。。。

これは、実は、自分が自分のためにしたいことをしているわけではなくて、
とにかくあまり頭を使わず、エネルギーをかけないでできるっていうことで選択しているようです


つまり、自分のちょっとした時間
電車の中、何かを待っている時、仕事の行き帰り、休みの時
蒸気のようなことばかりしていると、
それがやがてその人の習慣となり、そして当然のごとく、それはその人の人生になります。

人を無気力にさせる
仕事をするのも、何か有意義なことをするのも、自分のちょっと目標としていたことをするのも
何をするのもだんだんと気付かぬうちに 億劫になり、人生自体が無気力となっていくというのです。

そうして、やがて遠からずのうちに、自然とその人の生命エネルギーが
衰えていく

マンガやテレビ、SNSが習慣のこの世の中です
ちょっと頭で考えれば分かることですが、
これらをしている時、人間の脳は、、、、働いてないですよね。
人間は、これらの道具を使うことで、脳を使わないように使わないようにしていってしまっているようです

習慣となった人の脳は、それをするのが楽になり、
他ことをやるのが段々めんどうになり、
やがて、蝕まれるように、日常のクオリティが知らず知らずのうちに落ちていく

こういう本を読んで、びくっと感じれる状態であれば、自力で方向転換できるかもしれません

コロンブス~の白人が先住民をいとも簡単に殺しつくしたのは・・・・キリスト教は都合よく利用されたのだ

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

一神教民族と多神教民族の違い 

パレスチナ、アラビアの酷烈な自然風土の中では、自然に対決し、自然を征服しようとする絶対神を必要として一神教を生む。
これに対して自然の温和な湿極の日本では、自然順応、調和、共生の多神教が生まれる。
一神教が排他独善の不寛容な神、妬みの神になるのに対して、多神教は、誰をも受け入れる極めて寛容な慈愛の神となる。
仏教を生んだインドの世界は、モンスーン地帯に属し、高温多湿で、土地の生産性は極めて高い。ここで生まれた仏教は、当然キリスト教のような苛烈さ、峻厳さを持たない。日本もモンスーン地帯なので、血のしたたる刑死の十字架を祈るより、慈愛に満ちた釈迦の自然死の涅槃の像に親しみを覚える。日本にあるたくさんの仏像のどれをとっても残虐な血の匂いはない。経典にも戦争だ破戒だ、殺戮だのといった残酷な場面は出てこない。
キリスト教は、家畜を殺して暮らす遊牧民や狩猟、牧畜民族に都合の良い宗教になっている。動物は、人間に使われ利用され食べられるため神によって作られたとする論理が成立する。
神は地上に、神に似せてまず人間を創った。次にその下に被造物として動物を、そしてその他の物を造った。だから人間は神に代わって動物を家畜とし、これを殺し活用してもかまわないのだ。
他民族を侵略したり、戦争を仕掛けて勝てば、その民族は殺されるか奴隷にされる。奴隷は人間ではなく、羊や牛の家畜と同列の扱いである。奴隷は家畜だからこき使おうが、殺そうが勝手で、そこに罪の意識をを全く感じないで済む。
さらに神が自分の姿に似せて創ったという人間とは、白人のことであって、、黒人のごときは、神を侮辱する獣であるから絶滅するのが神の意志だという論理になる。コロンブス以後の白人が、発見した新大陸の先住民をいとも簡単に殺しつくしたのは、白人以外の植民地民族をはじめから人間としてみていなかったからである。奴隷狩りや奴隷市場で売買された黒人など、牛馬と同じ家畜と考えない限り、あれほどむごいことはできなかったはず。白人以外は人間でないと、キリスト教を白人に都合よく解釈して、その侵略や殺戮、植民地支配を正当化していった。白人の植民地支配の罪業が、人間として悪の意識、罪の意識を感じないですむように、キリスト教は都合よく利用されたのだ。



侵略戦争の背景:キリスト教の正体 人間のおぞましさ 粉飾された言葉の裏の執念に、怖気をふるう

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

「聖書」を生んだカナンの地の過酷な風土 

ヨーロッパ人の世界侵略のシンボル、手段は「剣と十字架」である。「右手に剣、左手にバイブル」。剣は力、聖書はそれを生み出す精神。つまりその侵略を神の許した給う聖なる戦いと位置づけている。
侵略戦争の背景については、キリスト教の正体を知っておかなければ説明ができない。
キリスト教の生まれた聖書の故郷パレスチナの地理的背景はどうだったか。私はバイブルを開くたびに、部厚い本の最後に載っているたった一枚のカナン(パレスチナ)の地図を眺めていつも嘆息するのである。アブラハムやキリストやその弟子たちが活躍した聖書物語は、すべてこの狭い地図の中で起こった。その自然環境は、人間の生活に最も厳しい土地とされている。
人間生活にとって、日本は雨に恵まれた「湿極」と呼ばれ、カナンの地は「乾極」と言われて正反対の環境である。石ころだらけの土地、砂だけの砂漠、岩塩におおわれた不毛の地、塩分濃度が高く生物を寄せ付けない死海のような恐ろしい土地。
カナンの地がいかに人間にとって厳しい土地であるかは、その中央にその名も死海という名の塩の海があることで象徴的である。死海の谷は地球の裂け目であり、海面より300mも深く、地の底をのぞくようである。
人間居住空間としてカナンの地は、絶望的で例外的な土地である。この極悪な地に押し込められたユダヤ民族の宗教、これを母胎とするキリスト教の教えや戒律が、どうして普遍性をもちうるであろうか。まして湿極の日本人の生活に馴染むはずがない。
ユダヤ民族は、強大な東方の帝国の辺境にある貧困な、疎外された民であった。貧しい周辺地域に追いやられた牧畜民族の運命は、絶望的であった。
彼らはエジプトや三日月地帯(メソポタミア)の繁栄を羨望し嫉妬しながら、どん底の貧困生活を送らねばならなかった。だから彼らの崇めるヤハヴェの神は、他民族の繁栄を呪う嫉妬の神となる。同時にその富を略奪し、搾取する機会を約束する「征服の神」である。この神はその約束を実現する代償として、ユダヤ人に、貧苦と忍耐と禁欲と団結を強要する。
会田雄次氏は、いくら旧約聖書を読み返してみても、そこにどうしても理想と愛を見いだすことができない、と述懐している。彼は、そこに見られる征服と繁栄に対する妄執に、人間のおぞましさを感じるだけだ。粉飾された言葉の裏の執念に、怖気をふるうだけだと言っている。

ヨーロッパの繁栄は、歴史から抹殺されてしまった一億人のインディアンの怨念、犠牲の上に成り立っている


『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

VIPのもつ本来の意味とは

ヨーロッパでは重要な人、偉い人のことをVIP(Very Important Person)と呼ぶ。インポートとは、輸入とか輸入品の意味に使われる。それがなぜ重要なのか。産物の乏しいヨーロッパでは、他国から自国の方へ物資を持ってくる、獲ってくることは、仲間が生きるために最も重要なことだったからである。食糧やその他産物を自分たち集団のために持ち込むことは、その手段が略奪であろうと泥棒であろうと国益にかなっているので問題ないのである。
最も効率が良いのは、他国の貿易船、宝船を海賊行為で奪って、そっくり自国に持ち込むことである。これほど同族を喜ばせ、豊かにするものはない。これほど重要なインポータントな英雄なないのだ。英国王の先祖が海賊であることを誇りとするわけも、ここにある。子育てのために獲物を狩りしてくる感覚である。そこには何の罪も悪の意識もない。
コロンブスがアメリカ大陸を発見し、先住民から莫大な財宝を奪ってヨーロッパに持ち込んだ。だから白人にとって、彼は最も重大な英雄中の英雄(VIP)になるのだ。ところが物を盗られ、殺されたインディアンの立場からは、コロンブスは一億人の先住民を殺戮する動機を造った極悪の犯罪人、悪魔中の悪魔である。その後のヨーロッパの繁栄が、歴史から抹殺されてしまったこの一億人の悲惨と怨念の犠牲の上に成り立っている。この表と裏の歴史的事実を明らかにしない限り、真の世界史は成立しえない。

夜、蚊帳を張って寝ている姿が外から見えても平気でいるのにビックリ仰天

『侵略の歴史』この500年、白人は世界で何をしてきたか  清水馨八郎   つづき

収穫より略暴の方が効果的という考え方

日本では古くから「一粒万倍」の言葉があるように、収穫量は神の恵みと感謝してきた。ヨーロッパの農業は 日本人には想像もつかないほど生産性が低い。冬の長いヨーロッパでは、春の来るのが遅れると、致命的な打撃を受け、飢餓は慢性的になる。種用として貯蔵していた穀物まで食料に廻さねばならない。このような苛酷な風土では、生きるためには略奪によって補うより他に道がない。
西洋史の大家、会田雄次氏によると、「略奪が一番簡単で、一番豊かな生活を約束することで、ヨーロッパ以上のところはなかったのだ。日本では泥棒、強盗はバカがやる一番損な仕事になっている。略奪はヨーロッパでは、優秀な人間がやる企てであると考え、日本とは全く逆の価値判断である。イギリスの王家は先祖が海賊であったことを誇らしげに宣伝しているほどだ」(「日本の風土と文化」
乏しい食料をめぐる激しい争い、そして略奪を生存のための当然の権利と考えるヨーロッパ人の性向は、ここに由来する。


狩猟・牧畜民族の残虐性

ヨーロッパでは、耕す大地から得られるものがあまりにも少ないので、その上でいかに生き残るかの「生存の文化」になるのに対し、日本では、その大地の上で、いかに豊かな生活を楽しむかの「生活文化」が中心となって生まれる。生きる目的が生存にあるか、生活にあるかとでは、大変な違いである。
日本では戦前まで、町でも村でも一般大衆が日常鍵を持ち運ぶキーライフというものを知らなかった。欧米人はまず他人を疑い、関係はすべて契約で成り立ち、自己の所有物は鍵をかけないと安心できない。明治になって日本を訪れた西洋人が、日本の農村を旅行して、夜、蚊帳を張って寝ている姿が外から見えても平気でいるのにビックリ仰天したそうである。スキがあれば略奪、強盗が日常で、鍵社会で身を守る欧米人からみると、丸裸の無防備の日本人の生活は、異常に映ったのであろう。
中世までのヨーロッパの農民たちは、略奪と防備に備え、武器を備えていた。農民といえど戦う戦士であったのだ。
狩猟生活は絶えず動物に罠やおとりをしかけ、騙し捕え、おびきよせる技をみがかねばらなない。遊牧も牧畜も絶えず動物を殺し、食し、血を見て暮らす生活である。動物に憐れみなどかけていては生活が成り立たない。数千年にわたる厳しい環境の下で、ヨーロッパ人たちが獰猛な肉食動物的残虐性を持つようになったのはこのためである。


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