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念ずれば花ひらく  「こころの時代」で放映

昭和六十三年五月一日に、NHK教育テレビの  「こころの時代」で放映されたものである

 http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-117.htm      

     念ずれば花ひらく

 
                                詩  人 坂 村  眞 民(さかむら しんみん)

明治四二年熊本県に生まれる。八歳の時に、父親の急逝によりどん底の生活に落ちる。五人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和六年神宮皇学館を卒業。二五歳の時、朝鮮にて教職につき、三六歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。二○歳のとき岡野直七郎の門に入り、短歌に精進する。昭和二一年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、六五歳で退職、以後詩作に専念する。始めは短歌を志し、昭和一二年『与謝野寛評伝』を著している。四国に移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。四一歳のとき詩に転じ、個人詩誌『ペルソナ』を創刊。六二年より『詩国』を発行し、以後毎月、一回も休むことなく発刊し千二百部を無償で配布している。また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は日本全国四七都道府県に分布し、その数は現在,海外の二○基と合わせると約六三六基となる。

 

ナレーター:  「念ずれば花ひらく」と刻まれたこの碑は、愛媛県砥部町で密柑山を経営している方がご自身でお庭に立てたものです。同じ町に住む詩人坂村眞民さんの詩によるもので、その詩に感銘を受けたからでした。

 

     「念ずれば 花ひらく」

 

     念ずれば

     花ひらく

     苦しいとき

     母がいつも口にしていた

     このことばを

     わたしもいつのころからか

     となえるようになった

     そうしてそのたび

     わたしの花がふしぎと

     ひとつひとつ

     ひらいていった

 

「念ずれば花ひらく」の碑はこれまで日本の各地に立てられました。ハワイにもあります。みんな坂村さんの願いに共鳴して建てられたのです。ちょうど百番目の碑が間もなくできあがります。
つづきよむ・・・・

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憎悪


ブッダのことば


走っても疾(はや)すぎることなく、また遅れることもなく、

「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、

この世とかの世とをともに捨て去る。

―――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


                                   スッタニパータ

坂村真民さん 詩集より

坂村真民さん 詩集より

夕空

わたしはいつもひとりだから

あたたかいひとのこころにふれると

ほろりとする

生きていることがうれしくなる

暮らしていくことに力がでる


今日あなたに会って帰るさのn

夕の空のきれいだったこと

近かじか虹までたつではないか


ああわたしはもう

野心もなく欲もない

ただしずかに生きてゆきたい

美しい人の美しい心にふれて

こころみださず生きてゆきたい

愛欲


ブッダのことば


走っても疾(はや)すぎることなく、また遅れることもなく、

「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、

この世とかの世とをともに捨て去る。

―――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


                                   スッタニパータ

生きてゆく力がなくなることがある

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

「生きてゆく力がなくなる時」  坂村真民


死のうと思う日はないが

生きてゆく力がなくなることがある

そんな時お寺を訪ね

わたしひとり

仏陀の前に坐ってくる

力わき明日を思う心が

出てくるまで坐ってくる




貪り むさぼり


ブッダのことば


走っても疾(はや)すぎることなく、また遅れることもなく、

「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、

この世とかの世とをともに捨て去る。

―――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


                                   スッタニパータ

坂村真民さん 六魚庵哀歌

坂村真民さん 六魚庵哀歌

強い人間になりたい


悲しんで帰ってきた父を
とりかこんで迎える子らよ
父のかなしみを
生きてゆくために
どんなに苦しんでいたかを
いつかは知ってくれる時があろう
つめたくなった飯を
ひとり食っていると
涙がにじんでくる
父ちゃんおそかったね
父ちゃん何してたのと
かわるがわる尋ねる子らよ
慰めてくれるのは
お前たちだけ
お前たちだけのために
何もかも我慢して
明日もまた働こう
あゝどんなに非難されようとも
どんなに鞭うたれようとも
敢然と太刀打ちできる
強い人間になりたい
悪口も雑言も
平気で人の前に言える人々を
羨ましく思う
カマキリのめすのような
無情冷酷さを
いくらかでも持っていなくては
生きてゆけない世の中だ
愛だけでは負けてしまう世の中だ
わたしなどは生まれてこなかった方が
よかったかも知れぬ
妻も悲しめなくてすむし
子も苦しめなくてすむし
生まれてこなかった方が
幸せだったかも知れぬ
四十にもなって何を言うのだと
人は笑うだろうが
自分を知ることが
多くなればなるほど
妻にも子にも
すまぬすまぬと思うことばかりだ
ああ
強い人間になりたい
強くならねばならぬ
強くなるように祈らねばならぬ

人間なんて少しも変わっていないということである

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

わたしは『抱朴子(ほうぼくし)』(葛洪かっこう著)が好きで、一時読み耽ったことがあるが、中国文学の中で、わたしは儒教のかたぐるしいのより、こんな本が肌に合っているようだ。

(抱朴子より)

 世の人は豚のように食って一日ごろごろしている

必ずしも学問に励み、徳の向上に努めることはできない。ただもろともにぶらぶらと遊び歩いて年月を過ごす。目の色を変えるのは、名誉か利益だけ。・・・・・・・・・・・時には延々と杯さかずきをやりとりして沸きかえるような騒ぎ。時には美女と共に管弦に耽ったり、・・・・・・・・・・博奕ばくえきをして時間を浪費する者もある。真理の言葉を聞く時は、酔っ払いのよう。道を説く書物を見せられると白昼に眠っているかのよう。わが身一つが修められず、ややもすれば、死の危険に足をふみ入れる。不老長生の法を問おうとはせず、われとわが身を削り、煎りたて、憔悴させ、命の水を漉(こ)し流そうとしている。一方、道を弁えた人は、自分の知識を大切に・・・・・・俗人のところへ出向いて押しつけに教えようとはしない。

今の世に読んでもなかなかいいものである。というのは、人間なんて少しも変わっていないということである。
ちなみに、抱朴子、本名は葛洪、284年から363年まで生きていた。抱朴子と号したのは素朴を愛するからだという。幼い頃父に死なれて貧乏したらしいが勉強が好きで、遠くまで蔵書を尋ねて、自分の知識を広めたという。
抱朴子は、こんなことを言っている。
禍を足ることを知らないより大きなものはない。幸いは止まることを知るより結構なものはない。溢れるばかりのものを持ちながら、空虚なようにして暮らすのが万全の策である。うかうかと気を許して栄耀栄華を極めるのは助かりようもない危険な道である。

人間というものは抱朴子の時代と殆ど変っていないと言えよう。いや却って悪化しているかも知れない。だからこそ抱朴子の言っていることが、今のわれわれの心を打ってくるのである。
抱朴子は実に面白い本である。近ごろの小説よりよっぽどおもしろい。心ある人はどうかいっぺんよんでもらいたい。

視ることは愛である

坂村真民 全詩集   三昧

愛について

人を理解するのは何といっても深い愛の心である。

わたしがリルケの姿を追っていたのはもう随分前になるが、

リルケという人は、追えば追うほど遠ざかる人であった。

今思えばリルケへの理解が浅かったのも、

わたしの求め方が学問的理解にのみ注がれて、

愛の深さから出ていなかった故であった。

愛なくして眺める人生、愛なくして読む書物

愛なくして接するすべてのものよ。

一切は空しく、一切は冷たく、一切は色を失ってしまう。

わたしは今素直にそんなことが言えるようになった。

「視ることは愛である」といったリルケの怖ろしいまで澄んだ瞳を、

わたしは心しむ思いで描く日が多くなった。

リルケの眼が暖かく注がれる日を心ながく待とう。


虚妄


ブッダのことば


走っても疾(はや)すぎることなく、また遅れることもなく、

「世間のおける一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、

この世とかの世とをともに捨て去る。

―――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


                                   スッタニパータ

エルサレムのオリーブの木

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋


暁天祈願

ある新聞記者の人が、インタビューに来られた時、暁天祈願のことにふれ、一体どんなことを祈願されるのかと尋ねられた。わたしはこれに答えなかったが、これはわたしがわたしの守護霊(わたしは大詩霊さまとか、大詩母さまとか呼んでいるのだが)に対して、わたしがひそかに祈り願うことを、公にしたくなかったからである。
            中略
ではどうしてここにそれを書こうとするかと言うと、・・・・・・・・・
一人でも多くの人が、わたしのとなえているようなことを、となえて下さるようになることは、よいことではなかろうか。今の世で一番大事なことは、一人の幸福でなくて、全体の幸福を考える人間になることだ。そうすると、わたし独りのこの祈願に、一人でも多く共鳴して下さる人があったら、それだけ世界がよくなってゆくことになる。・・・・・・・・・

わたしの暁天祈願の時刻は、午前三時三十六分である。・・・・・・・・・・・・・・・
二時から四時までの時間を、わたしは純粋時間と言っている。宇宙の霊気が一番生き生きしている時間だからである。
わたしはわたしの好きな朴(ほう)の木の下で祈願をする。だからわたしのことを一番よく知っているのは、この朴の木である。時には朴の幹をぎゅっと握って祈ったりする。そんな時は朴と一体になる思いがする。また時には五位鷺が頭上を鳴いて行ったり、ほととぎすが鳴いて行ったりする。鳥たちは酉年生まれのわたしを同族だと思い、近づいてはげましてくれるのだと思う。

暁天の大地に立って、月のある時は月に向い、月のない時は星に向い、腹いっぱい光を吸飲して祈る。
その最初の言葉をここにあげよう。わたしはこれを三祈願といっている。

(一つ)宇宙の運命を変えるような核戦争が起きませぬように
(二つ)世界人類の一致が実現しますように
(三つ)生きとし生けるものが平和でありますように

この三祈願をとなえたあと、私は詩縁の方々の平安を祈り、・・・・
そのとき首にかけているのは、長い菩提樹の数珠に、二千年の樹齢を持つエルサレムのオリーブの木の一片がついている、わたし独自のものである。・・・・・・・・・・・・・
もっともっと大きな宇宙の運命というものを考える時代がきている。
わたしは華厳経が好きであるが、それは宇宙と同じ大きさの白蓮華があるという、壮大なインドのロマンに心ひかれるからである。いや仏陀釈尊の大きな祈願に魅せられるからである。
未明暁天の空は実に美しい。清浄で霊気に満ち溢れ、霊光に輝き、神仏と共に在る歓びの時である。

妄想


ブッダのことば


走っても疾(はや)すぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想を乗り越えた修行者は、

この世とかの世とをともに捨て去る。

―――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


                                   スッタニパータ

世尊が野を歩いておられると、花たちが喜びにふるえて

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

わたしは宇宙そのものが、美しい愛の一大曼荼羅界だと思っている。

中略

人間に会うより
花に会う方が
今のわたしには
胸がわくわくしてくる
きのうは大山蓮華の花に会い
きょうは梅花うつぎの花に会う
ああ
花との一期一会よ


こちらがこんな気持でいると、相手もまたその愛を示してくれるのであって、わたしは一輪の花を通して、
宇宙曼荼羅界の喜びを知り、仏教の持つ宇宙観の美しさに触れるのである。
世尊が野を歩いておられると、花たちが喜びにふるえて、パッパッと咲いていったという話も、小さい時からわたしの胸にしみ込んでいるものであって、こうして育ったわたしが青年となり、記紀万葉の、あのおおらかな情緒の世界にひたっていったのも、当然ではなかったかと思う。

権利だけを主張する者たちが、狭い国土いっぱいになり

仏教詩人 坂村真民さん
『 生きてゆく力がなくなる時 』

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抜粋

高度経済成長の中で、何の不自由もなく楽々と育った者が、還暦とか古稀とかの年齢になった時、いったい日本はどのようになっているか、わたしはあの世から眺めるほかはないが、何か心配でならぬものが、幻影のように浮かんできてならない。
一方的な権利だけを主張する者たちが、この狭い国土いっぱいになり、仏さまはいられても念仏する声は消え、悪魔サタンの声に満ち満ちてくるようになったら、あの世にいてもじっとしていられない思いがするにちがいない。
わたしはNおばあさんの微笑にあふれたお顔を思い浮かべながら、晩年の美しさこそ本当の美であり真実の花であると思った。


誰も自殺に追い込まれることのない社会へ ライフリンク清水康之さん

ライフリンクより

近日中の講演予定

■豊中市 自殺予防週間講演会≪本日≫
※清水代表が「誰も自殺に追い込まれることのない社会へ~私たち一人ひとりにできること~」と題して講演します。
日時:9月26日(木)14:00~16:00
場所:豊中市立中央公民館 集会場(豊中市曽根東町3-7-3)
問い合わせ先:豊中市保健所保健企画課(TEL:06-6152-7309)

■講演会・映画上映会「守り、支え合う“いのち” 大切な命をつなぐために」
※根岸副代表が「自殺に追いこまれることのない社会を目指して」と題して講演します。
日時:9月28日(土)13:15~16:00(※根岸副代表の講演は、13:20~13:50)
場所:文京シビックセンター 2階シビックホール(文京区春日1-16-21)
無料、直接会場へ
問い合わせ先:文京保健所予防対策課保健指導係(TEL:03-5803-1836)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_yobotaisaku_seisinnanbyo_utubyo_eigakai.html

■日本社会病理学会 第29回大会
※清水代表がテーマセッション「自殺の社会的背景を問う」に登壇します。
日時:9月29日(日)9:30~12:00
場所:国学院大学(渋谷区東4-10-28)
参加費:一般2000円、大学院生1000円
http://socproblem.sakura.ne.jp/congress/congress29.html

■自殺予防シンポジウム2013 in のしろ
※清水代表が「誰も自殺に追い込まれることのない社会をめざして」と題して基調講演します
日時:10月6日(日)13:00~15:40
場所:キャッスルホテル能代(秋田県能代市元町16-6)
無料、直接会場へ
問い合わせ先:能代市健康づくり課(TEL:0185-58-2839)
http://www.city.noshiro.akita.jp/c.html?seq=5235

■東京子ども図書館「先輩に聞く」公開講座 ≪残席わずか≫
※清水代表が、「NHKからNPOへ―私が自殺対策に取り組む理由」と題して講演します
日時:10月17日(木)15:00~17:00
場所:東京子ども図書館(中野区江原町1-19-10)
参加費:一般1500円、賛助会員1000円
定員:60人
申し込み:東京子ども図書館(TEL:03-3565-7711、FAX:03-3565-7712)。FAXの場合、「清水康之氏講演申し込み」と明記し、氏名、郵便番号、住所、電話番号(日中の連絡先)、同図書館の賛助会員か否かをご記入の上、お申し込みください。
http://www.tcl.or.jp/pdf/invite/invite151.pdf


◆◆◆
なお、これまでに配信された【LL News】はこちらで見られます
http://blogs.yahoo.co.jp/lifelink_2010/
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